保守党との違いを打ち出せなくなった労働党
ブレア政権は、1997年から2007年まで10年間続きました。これはアメリカのブッシュJr.大統領の任期(2001~09年)と重なります。
ブッシュJr.大統領がネオコンにそそのかされてイラク戦争(2003年)を始めた時、アメリカと一緒になってイラク攻撃に参加したのがブレア首相でした。結局、イラク戦争開戦の前提となった大量破壊兵器は見つからず、ブッシュ大統領に追随したブレア首相は、「ブッシュJr.のプードル犬」という不名誉なあだ名で呼ばれる羽目になりました。
グローバリズム路線に転向した結果、保守党との違いを明確に打ち出せなくなった労働党は、2010年にはキャメロン率いる保守党に政権を明け渡してしまいます。その後、テリーザ・メイ首相、ボリス・ジョンソン首相が率いる保守党政権が長く続きます。
ブレグジットの発端は移民問題だった
2016年6月、イギリスで国民投票が実施されると、欧州連合(EU)からの離脱派が残留派をわずかに上回り、EUからの離脱(ブレグジット)が決まりました。
前回の記事(「日本より小さい島国のイギリスが『世界帝国』になれた世界史の新常識」)を思い出していただきたいのですが、イギリスは欧州共同体(EC)に加盟する際、自国通貨ポンドを手放さない、移民は受け入れない、という自国に有利な条件を引き出していました。つまり、市場拡大による経済的メリットを享受しながら、移民流入というデメリットだけを排除した「おいしいとこ取り」でした。そんな独自のスタンスを維持してきたイギリスが、なぜEUを離脱する必要があったのでしょうか。
それはキャメロン政権に対して、ドイツがEUへの予算増とシリア難民の受け入れを要求してきたからです。ヨーロッパで移民問題が深刻化した2010年以降、「欧州各国と歩調を揃えてイギリスも移民を受け入れてほしい。そうでなければ、費用を負担して」とドイツのメルケル首相が圧力をかけました。
移民流入を許せば、自国民の雇用が奪われ、高失業率や経済低迷、社会不安などの問題が生じるのは必至です。「だったらEUに留まるメリットは少ない。むしろデメリットのほうが大きいじゃないか」という考えから、「EUから抜けよう」という気運がイギリス国内で高まっていったのです。