「時間稼ぎ」を軽視して、条件反射だけですべてが判断される

【東】政治家もホントはそういうものだと思います。ビジョンって最初はわかってもらえないわけですよ。けれどもこいつはもしかしたらすごいじゃないか、という感じで金を集めて活動して、20年ぐらいたってから、「そういうことだったか!」となる。その時間稼ぎが人間力だと思うんですよね。

いまの世の中はそういう時間稼ぎをすごく軽視してて、「いま私はこういう政策を実現します」みたいになっている。そして「そうだ、みんなが求めてる!」「いや、それは求めてないぞ!」みたいな条件反射だけで、政治家も判断されるし言論人も判断されるしアーティストも判断されるようになっちゃってる。それをちょっと変えたい。時間稼ぎのための人間力。

東浩紀さん
撮影=西田香織

——あとで伝わればいい。

【東】そう、あとで伝わればいい。その「あとで」が難しいんですよ、いまの時代は。いまこの瞬間ジャッジされちゃうから。

「現代思想っぽいもの」はほんとうは哲学とも関係がない

【編集部】たとえば東さんに対して、しゃべりよりも執筆に専念してほしい、もっとテキストに向き合ってほしいという声もあるように思います。

【東】ありますね。でも、そもそもそういう人たちは「現代思想っぽいもの」を書いてほしいみたいなことでしかないんですよ。それはそれで、ああいう文章を読みたい、ああいうカッコいいカタカナがいっぱい並んでるのを頼む、みたいなことでしかないから、それはほんとうは哲学とも関係がないし、べつにぼくがやりたいことでもない。

真剣に考えたらだれでもそうだと思うけど、自分のやりたいことってよくわからないものなんですよね。何をやりたいかを発見するためにも時間が必要で、それを迷いながらみんな生きてる。何が言いたいかっていうと、そういう要求を他人に対してする人というのは、ぼくに限らず人間とは何かがあまりわかってないんじゃないかっていう気がするんですよね、根本的に。

——人間的な東さんに興味がないんですかね。

【東】結局のところぼくはぼくでいろいろ悩んでるわけですよ。悩んで何かを探しているわけです。それに対して、「いや、君はもっとここに力を注いだほうがいよ」とか言うのって、おまえの人生じゃないんだし、みたいなところがある。

もっとふつうに答えると、ぼくの哲学っていうのはゲンロンの実践というか、こういう人生とセットになってるし、ぼくがもしこういうことをやらないで執筆を続けていたら、それこそたぶんどっかの段階で全部飽きて、何もものを書かなくなったと思うんですよね。