みんなもっと「マスコミ」にいら立ってると思っていた

【編集部】本のなかで「ゲンロンを強くするためには『ぼくみたいなやつ』を集めなければならないと考えていた」とおっしゃっています。「『ぼくみたいなやつ』はどこにもいない」ということに気づくまで、10年の試行錯誤が必要だったのはなぜだったとお考えでしょうか。

【東】まずぼくは、みんなもっとマスコミみたいなものにいら立ってると思ってたんですよね。ゼロ年代の頃は若い人たちも同じようないら立ちを共有してると思ってたわけですよ。だから一緒にゲンロン作ろうと思ったわけで。でも、10年たってみたらみんなべつにいら立ってたわけじゃなかったんだなと。ふつうにワイドショーに出たりラジオ局のアンカーやったり、ちゃんと社会と折り合いつけてる。ぼくみたいに社会と折り合いがつかないヤツって珍しいんだなっていうのは思いました。

あとはちょっと引いて言うと、ぼくにはいろんな限界があって、それはぼくの出自とか人生経験と関係している。ぼくは東京の郊外に育って、進学校に行ってそのまま東大に行ってるわけですよね。それが限界だとは前から思ってたんだけど、この10年でそれにすごいぶち当たったんですよ。単純に世間が狭いし、「他人」ということで想像する範囲が狭い。

配線
撮影=西田香織

そのことがわかってきて、ぼくのようなヤツがいっぱいいてもぜんぜん世の中はよくならないと思ったんですよね。俺がいっぱいいる世界って悪夢そのものであって、それはダメだ、と。そういうこともわかるようになってきた。そんなことが40代半ばになってわかるってこと自体がたいへんなことですけどね。

「率直に話し合うのが嫌なひともいる」とようやく気づいた

——それはゲンロンでいろんな人と会うようになった結果で。

【東】ホントにそう。コミュニケーションのあり方ひとつとっても、いろんな人がいるわけですよね。ぼくにとってはズケズケ話すのがいいコミュニケーションなわけだけど、そういうのが嫌な人もいる。昔は「もっと率直に話し合おうよ!」ってばかり言っていたけど、でも、そもそも率直に話し合うのが嫌なひともいて、それはそれで性格的に向いてる仕事もあるんだなっていうことに気づくのにぼく40代半ばまでかかった。それがホントに大問題なんですけど。

——最後に、SF大会がゲンロンにここまで大きな影響を与えていたと思わなかったです。

【東】じつはそうなんですよ。SFってすごく変な世界で、ときどきSFブームってのが来るんですよね。それであいだに冬の時代がある。冬の時代は「SFって誰が読んでるの?」って状況になるんだけど、でもずっとコアな人たちは読み続けている。だからSF大会は世界のペースとは関係なく、我関せずのペースでやり続けてる。

SFの人たちは、世間の時間とはまったく関係なくSFだけの時間を持ってる。これ、けっこういいんじゃないかと思うんですよね。ときどきベストセラーが出たり世の中でブームが来たりするんだけど、関係なくSFのコアは守られている。文化って本来はこういうもので、アニメとかゲームだってそういう人がいっぱいいたから支えられてきたわけで。

——いまは巨大産業になっちゃったけど。