一説によれば、アントの上場延期は(おそらく人民銀行総裁などの忠告を受けて)習近平の一声で決まったという。といっても当局の指導に従って上場要件を整え直せば、アントのIPO計画は再び動き出すだろう。実はアントが上場会社にステップアップして世界に本格進出する近未来に対して心底気を揉んでいるのは、中国政府よりも各国政府であり金融当局ではないかと私は思っている。なぜなら同社は世界の金融システムや既存マーケットを無力化するパワーを秘めているからだ。

改めて説明すると、アントはアリババグループの決済機能がスピンアウトしてできた企業である。今や日本でも使えるアリペイのユーザー数は12億人を突破して、世界最大のモバイル決済プラットホームに成長した。中国では、11月11日は「独身の日」とされてネット通販各社が毎年大々的なセールを行う。20年11月11日のアリババのネット通販(Tmall=天猫)の取扱高は過去最大の約7.9兆円。日本の三越伊勢丹の年間売り上げの7倍以上を「独身の日」(正確には11月1日~11日の間)に稼ぎ出す。その主要な決済プラットホームがアリペイだ。

アリペイでの支払いに手数料はかからず、約3~5%前後の手数料を取るクレジットカードより圧倒的に安い。なぜ手数料がかからないかといえば、使ったその場で銀行口座から引き落とされるデビット決済だから。クレジットカードのような後払い決済ではないから、回収コストがかからない。

中国では買い物だけではなく、公共料金や家賃、学費の支払いなどにもアリペイやテンセントの「ウィーチャットペイ(微信支付)」といったモバイル決済が使われている。スマホ1つあればキャッシュレスでほとんどのサービスが受けられるのだ。当然、最先端の認証技術が使われていて、アリペイの場合は顔認証。手元にスマホがなくても「顔」だけで決済ができる。コロナ禍を受けてマスク着用のまま顔認証する技術もすでに導入が進んでいる。

アメリカの金融支配も打破できる

アントの収益源のひとつは金融事業。消費者や小規模事業者向けの小口金融を中核に、保険業や資産運用業なども行っている。

たとえばオンライン金融商品「余額宝(ユエバオ)」は、アリペイにチャージされている余剰資金を運用するMMF(マネー・マーケット・ファンド、公社債投資信託)だ。最小投資単位が1元(約16円)という手軽さと年率4%を超える高利回りで人気が沸騰し、サービス開始からわずか数年でJPモルガン・チェースが運用するMMFを追い抜いて、世界一の運用資産規模に膨らんだ。

アリペイにチャージした資金に利息が付いて、しかも余額宝はいつでも引き出せる。そうなると銀行の普通預金と何ら変わらない。今でこそ利回りは年率2%を下回っているが、それでもほぼゼロ金利の日本の銀行とは比較にならない。