ジャック・マー氏は頭がいいから、アリババの会長をしていたときには共産党政府を刺激するような発言は極力控えてきた。しかし19年9月に会長職を退いて身軽になったせいで気が緩んだのだろうか、少々踏み込んだ発言をして金融当局に目を付けられた。それが今回の「呼び出し」につながったと見られている。

問題の発言は、20年10月に上海で開かれた金融サミットでのスピーチだった。中国では近頃、習近平国家主席や、この会議にビデオメッセージを寄せた王岐山おうきざん副主席らが経済の安定的な発展を追求する一方で、金融のシステミックリスクを防止・解消する必要性を盛んに強調してきた。システミックリスクとは、特定の金融機関の破綻やシステムダウンなどによって引き起こされた決済不能がほかの金融機関や市場に波及するリスクのことだ。システミックリスクは金融危機を招きかねない。

それを防止・解消せよという政府トップからのお達しに対して、ジャック・マー氏は金融サミットの場で「中国にシステミックリスクはない。なぜなら中国には金融システムがないからだ。完全に成熟した健全な金融システムはなく、不平等である。我々はシステミックリスクを恐れるべきではなく、健全な金融システムを建設すべきだ」と言い放った。

また「バーゼル合意は老人クラブのようなもの。未来を規制するのに昨日の方法を使うことはできない」とも発言したという。バーゼル合意は国際業務を行う銀行の安定性や健全性を担保する規制(国際統一基準)で1988年に導入されたが、フィンテックの最先端を行くアントのような21世紀型の企業からすれば、前世紀の足かせとしか感じないのだろう。

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まともな金融システムもないのにシステミックリスクを恐れるのはお門違い、というジャック・マー氏の言い分は間違っていない。20世紀の古びたルールやフレームワークが、21世紀のイノベーターの成長発展を阻害している面もある。しかし、正論がまかり通らないのが専制国家の中国である。共産党指導部の考え方を否定するような発言は捨て置けない。アントが上場企業として世界に認められて発展していけば、ますます市場原理とテクノロジー優先で振る舞うようになって、中国政府の管理・監督が利かなくなるかもしれない。共産党政権が本当に恐れているのはそこではないだろうか。