コロナが収束したら「衝撃的な体験」を

最後にちょっと長いですが、余談をひとつ。

いまは海外にはなかなか行けない状況ですが、コロナが収束したらぜひおススメなのが海外旅行です。文化・習慣・価値観などは、日本ではどこに行ってもそれほど大きな差はないですから、「衝撃的」という体験はまれです。

しかし海外に行けば、そもそも国家の仕組みも人々の考え方も根本から違うこともあり、自分の価値観を揺さぶられる経験ができます。

それで10年ほど前、私たち家族がカンボジアに旅行したときの話をご紹介します(パックツアーではなく、現地に住む日本人にコンタクトをとって案内してもらいました)。

平均月収が1万円ちょっとというカンボジアの首都プノンペンでは、1台1500万円もする高級車レクサスがたくさん走っています。カフェブームで1杯500円のカフェも乱立しています。

多くは15歳まで生きられないゴミ処理場で働く孤児たち

一方、そこから車で20分ほど走ったゴミ処理場では、5~10歳くらいでしょうか。たくさんの孤児が働いていました。みな上半身ハダカで靴も履いていません。彼らはうず高く積まれたゴミの山から鉄くずを取り出す仕事をしています。夕方に来るブローカーから、集めた鉄くずと交換にお金を受け取ります。

しかし、丸一日働いてもらえるお金は日本円にしてわずか40円ほど。彼らは限りなくブローカーに搾取されているのですが、生きていくために、もくもくと働いています。

子どもたちの多くは、15歳まで生きられないそうです。裸足なので、足をケガしてそこから雑菌が入り、病院にも行けず、ほとんど数年で死んでしまうとのこと。ゴミ処理場に住んでいて、家もお金もなければ、学校にも行けないし、おいしいものも食べられない。彼らはその短い一生を、ゴミの山に囲まれて死んでいくのです。

彼らは携帯電話もパソコンも持てない。就職もできない。パスポートも持っていないですから海外にも行けない。人生を変えたくても変えられない。どこかへ逃げたくても、逃げられない。挑戦したくてもできない(いま、状況は変わっていると思いますが、当時の話です)。

ひるがえって「日本は格差が広がっている」などと言われますが、カンボジアに限らず、アジアの諸外国を見てきて感じるのは、日本は世界一格差の小さい国だということです。実際、

携帯電話を持てない人はどれくらいいる? 学校に行けない子どもはどれくらいいる?コンビニで買い物できない人はどのくらいいる? 病気になったりケガをしたりしても病院にかかれない人はどのくらいいる? 服を買えない人、裸足で生活せざるを得ない人はどのくらいいる?

つまり「格差、格差」という人は、「本当の格差がどういうものか」を知らない。世界水準で比較すれば、日本には格差なんてないに等しい。

「日本の問題は絶対的貧困ではなく相対的貧困だ」という主張もありますが、「あの人と比べてこの人は収入が低いから、もっとお金をよこせ」とでも言うのでしょうか。比較して意味があるのは、それをバネに発奮材料にすることしかないように感じます。