名伯楽・小出監督とは何度も衝突し、「孤高のランナー」と呼ばれた

当時の新谷はトラックで戦うのではなく、「はやくマラソンで結果を残したい」「高橋尚子さんに少しでも近づきたい」という気持ちがすごく強かったように思う。

準備運動をするアスリート
写真=iStock.com/scyther5
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しかし、新谷はマラソンで思うような結果を残すことができなかった。2008年8月の北海道マラソンは2時間32分19秒の2位、2009年3月の名古屋国際女子マラソンは2時間30分58秒の8位。終盤での失速がトラウマになったのか、その後はトラック種目に注力することになる。

そして小出監督とは何度も衝突したという。いつしか、新谷は「孤高のランナー」と呼ばれる存在になっていた。

そのなかで2012年ロンドン五輪10000mは30分59秒19で9位。入賞(8位以内)にあと一歩のところまで迫ると、翌2013年モスクワ世界選手権10000mで自己ベストの30分56秒70で5位に食い込んだ。日本陸上界にとっては、快挙ともいえる結果だが、新谷が喜ぶことはなかった。

20代前半は笑顔を見せることなく、右足裏筋膜炎が完治しなかったこともあり、2014年1月に「引退」を発表。その後は、会社員生活を過ごすことになる。しかし、2017年夏にナイキと契約を結び、今度は「プロランナー」として再び、走り出した。

「プロランナーとしては常に結果が求められますし、私は25歳のときの自分を越えたいんです。10000mの日本記録と世界大会のメダル。これらを達成することができれば、過去の自分を超えることができるかなと思っています」

3年半のOL生活からカムバック「私はお金で動く女です」

一時は体重が13kg増加したこともあり、カムバックの道は簡単ではなかった。トレーニング量の急増と食事制限が原因でほどなく恥骨を疲労骨折する。2018年6月にレース復帰した後は徐々に調子を取り戻すが、新谷の気持ちを満足させるところまでは至らなかった。

それでも昨秋はドーハ世界選手権10000mに出場して、日本代表に復帰する。しかし、先頭から約300m引き離される11位(31分12秒99)でレースを終えると、「メダルを取らなきゃ恥。過程なんか誰も見ていないじゃないですか」と自身に厳しいジャッジを下した。

2020年は積水化学に移籍した1月に、ハーフマラソンで1時間6分38秒の日本記録を樹立し、同じ1月の大阪国際女子マラソンでは15kmまでペースメーカーを務めた。

「私はお金で動く女です。ペースメーカーもお仕事ですよ。マラソン挑戦ですか? 仮にマラソンを走るとします。お金はこれくらいです、という状況でも10kmできつくなったら、あと30kmは地獄じゃないですか(笑)。絶対に後悔するんですよ。過去3度のマラソンはぜんぶ30km以降にだれてしまって、本当に地獄でした。その点、5000mや10000mは途中でだれても、残りの距離はさほどありません。トラックなら頑張れるんです」

新谷は茶化してこう話していたが、マラソンで叶わなかった夢をトラックで埋め合わせようとしているように感じる。だからこそ、世界大会で「メダル」を獲得しなければいけないのだ。