「無名ルーキーがいきなり区間賞」高校時代から“パフォーマー”

筆者は新谷が高校生(岡山県の興譲館高校)のときから取材してきた。初めて直接取材したのは彼女が高校1年の全国高校女子駅伝(2003年)だ。全国的には無名のルーキーが最長区間の1区でいきなり区間賞を獲得。「あいつは誰だ」。突然の怪物登場に、駅伝関係者は大いにザワついた。

当時の新谷は走ることを楽しんでいるように見えた。自分の才能に気づき、それを必死で磨こうとしていたように思う。同時にチームメイトと“青春時代”を過ごしていたようにも感じた。そして、全国高校女子駅伝では1区で3年連続区間賞の金字塔を達成。3年時には1区で区間新を叩き出して、チームを初優勝に導いている。

女子1万メートルで日本新記録を樹立して優勝し、東京五輪代表に決まった新谷仁美(積水化学)
写真=時事通信フォト
女子1万メートルで日本新記録を樹立して優勝し、東京五輪代表に決まった新谷仁美(積水化学)=2020年12月4日、大阪・ヤンマースタジアム長居

「たるんでいるので、私を殴って」「走るのが仕事ですから」

その後、興譲館高へ取材に行った際、驚くべきエピソードを耳にした。全国高校女子駅伝の直前、新谷が森政芳寿監督に向かって、「たるんでいるので、私を殴ってください」と訴えたというのだ。

ちなみに森政監督は当時40代後半。薄い色のサングラスをかけた丸刈りの強面教師だ。男の筆者でも絶対に言えないことを17歳の少女は口にした。当時から責任感は強かった。

高卒後は、豊田自動織機に所属して、佐倉アスリート倶楽部の小出義雄監督の指導を受けるようになる。彼女が高校卒業直後の3月下旬、千葉県・佐倉まで取材に行った。それは冷たい雨が降る日だった。コーチが運転する車に乗せてもらい、新谷の練習を後ろから追いかけた。

当時、新谷はシドニー五輪の女子マラソンで金メダルに輝いた高橋尚子に強烈な憧れを抱いており、小出監督に「私はマラソンをやりにきたんです!」と詰め寄るほどの“情熱”がほとばしっていた。

「将来は私を見て、夢や希望を持ってくださるような、笑顔が似合うマラソンランナーになりたいです」

こう話していた新谷は、当時から「走るのが仕事ですから」とも言い切っていた。

ロードで距離走を行った新谷の姿を見て、小出監督が絶賛していたのをよく覚えている。当時67歳だった名将は「将来的にはマラソンで2時間15~16分で走らせたいね」と大きな期待を寄せていたほどだ。

新谷は社会人1年目の2007年2月、記念すべき第1回の東京マラソンに出場。2時間31分01秒で制して、絶好の“マラソンデビュー”を果たす。18歳でのマラソン挑戦は非常に珍しく、驚かされた。