つまり、西ドイツが他の西欧諸国と和解し、政治・軍事同盟を結んだのは、過去の清算より前だった。彼らがNATO加盟を果たし、欧州統合を軌道に乗せるために、戦時暴力を認める必要があったことは重要な事実だ。ただし、償いが必要だったわけではない。

日本自身の戦後の歩みも、それを裏付けている。日本はアメリカ、オーストラリアと戦後すぐに和解した。国際政治の世界では常識だが、かつての敵国との和解は共通の戦略的必要性が基点になる。

共産主義の拡大を恐れたアメリカとオーストラリアは、ソ連との力のバランスを保つために良好な対日関係を再構築しようとした。両国とも、日本に謝罪を求めたり期待したりしなかった。日本は現在、両国に加え東南アジア諸国やインドとも友好的関係を築いている。

日本は時間をかけて歴史的和解を模索してきた。明仁天皇は全ての戦没者の魂を慰める「慰霊の旅」でパラオやフィリピンなどの戦場を訪れ、温かい歓迎を受けた。日米関係では、安倍晋三首相とバラク・オバマ大統領が真珠湾や広島の追悼施設を訪問し、大きな成功を収めた。

謝罪は和解のために必要不可欠ではないとしても、マイナスにはならないという意見もあるだろう。しかし、ここで別の問題が出てくる。謝罪は国内で政治的反発を招き、和解を阻害する恐れがある。

実際、日本では指導者の謝罪や自己批判的な教科書が保守派を刺激し、より肯定的な歴史観を要求する運動に火を付けたことが何度もあった。これ以上の謝罪は、さらに反発を招くだけだ。

歴史をめぐるこうした論争のせいで、日本側に何か問題があるのではないかという意見もよく聞く。しかし、ドイツが極めて例外的な存在なのであり、日本の経験のほうがはるかに一般的だ。アメリカでは、ドナルド・トランプ大統領が公立学校の生徒は「自国を憎むように教えられている」と主張し、もっと愛国的な歴史を教えるよう呼び掛けている。

謝罪や自己批判的な歴史の記述は、オーストリア、イギリス、フランス、イスラエル、イタリアでも反発を買っている。謝罪が反発を生むのは、民主主義社会ではナショナリズムと愛国心をめぐるリベラル派と保守派の見解が対立しているからだ。

以上の理由から、ドイツ・モデルを見習うよう日本に圧力をかけても、東アジアの和解にはつながらない。