日本と近隣諸国との歴史問題の原因は、日本政府が戦時暴力を謝罪しなかったことにあるという意見をよく聞く。しばしば日本と比較されるドイツは戦後に謝罪し、被害者への補償を行い、歴史教育や追悼行事を通じて戦争の記憶を忘れない努力をしている。日本もドイツの例に倣えば、いずれ近隣諸国と和解できる、というのがこの主張の骨子だ。
こうした既存の「常識」には問題がある。ドイツ・モデルから間違った教訓を得ていることだ。他の和解の事例と同様、ドイツの経験が示唆しているのは謝罪ではなく、真実を語ることの重要性なのだ。
アジアの人々は、戦時中の日本による暴力や収奪、あるいは植民地支配の屈辱、いわゆる「慰安婦」や「徴用工」の苦しみを記憶している。南京事件やその他のアジアの都市や村での蛮行も忘れていない。
かつての敵国同士は、このようなトラウマをどうやって乗り越え、良好な関係を回復するのか。歴史的に見て、国家は過去の戦争を振り返る際に自国の苦難を強調し、兵士や指導者を英雄とたたえてきた。だが戦後の西ドイツ(および統一後のドイツ)は、戦時中の他国への暴力を償うという新しいモデルを発明した。
第2次大戦後の西ドイツは、世界がかつて見たことのないレベルで過去と向き合った。指導者たちは謝罪を表明し、教科書にドイツの悪行と近隣諸国の苦難を記述し、都市には犠牲者を追悼する記念碑を建てた。
今日のドイツは、かつての被害国と生産的で良好な関係を築き、自由主義陣営の中で高く評価される主要国の1つになっている。そのため日本もドイツの贖罪を見習うべきだという「常識」が出来上がった。
謝罪は国内の反発を招く
ドイツの経験から学ぶべきことは多いが、この主張にはいくつかの問題がある。まず、ヨーロッパの和解の時期を誤解している。西ドイツは過去を謝罪する前に、英仏と和解してNATOに加盟した。
1950年代の西ドイツは、(特にソ連による)自国の苦難を強調していた。保守派のコンラート・アデナウアー首相(当時、以下同)は51年にイスラエルへの補償に同意したが、発表した声明は不都合な事実に向き合うことを巧妙に回避したものだった。有名な謝罪や追悼碑・博物館の設置は、60年代に左派が政権を取った後の出来事だ。