過去を認める姿勢が重要

おそらくドイツの事例から得られる最も重要な教訓は、過去の事実を認めることの必要性だ。西ドイツ政府が(保守派のアデナウアー政権の下で)下した重要な決定の1つは、戦時暴力の責任を認めたことだった。アデナウアーはイスラエルへの補償を実現させるために、左派と手を組んで与党内部の反対を抑え込んだ。51年の演説で述べたように、それによって「ユダヤ人に対する言語を絶する犯罪」の責任を取ったのだ。

こうした西ドイツ政府の対応は、他の国々の過去の戦争に対する姿勢とは対照的だ。実際、国家は過去の暴力を否定することが多い。そのような否定は外交関係に悪影響を及ぼし、和解の努力を妨げる。

安倍前政権の政策は、真実を語ることの重要性を示している。出だしは失敗だった。安倍は慰安婦問題への官憲の関与を認めた93年の「河野談話」の見直しを主張して世界的な反発を招き、さらに2013年の靖国参拝で元被害国を怒らせた。

だが安倍はその後、過去の暴力を認めることの重要性に気付いたようだ。15年8月の戦後70年談話では、戦時中の日本の侵略行為による外国の犠牲者に言及した。

ドイツの経験は、アジアでの和解に必ずしも謝罪は必要ないが、日本が過去の人権侵害を認め、それを国民に教える必要があることを示唆している。日本にとって重要なのは、中国や韓国、その他の国の人々の苦しみを理解することだ。

ドイツ・モデルが示すように、事実を認めることは和解に向けた大きな一歩になる。

<ニューズウィーク日本版 2020年11月3日号「ドイツ妄信の罠」特集より>

当記事は「ニューズウィーク日本版」(CCCメディアハウス)からの転載記事です。元記事はこちら