産まない女性の母性愛は社会に注がれる

でもね、子どもを持たずに、その人生を子ども以外のものに捧げる女たちもまた、勇者なのである。仕事や信条にいのちを懸ける女性たちは、母たちとは別の道を行く。女性脳の成熟の道は二つある。一つは、子どもを産んで成熟する道。もう一つは、子どもを産まずに成熟する道。この二つの道は、別の道だ。子どもを持たない女性は、「未完成な女性」ではけっしてない。

妊娠、出産、授乳によって、女性は、今までにないホルモンの分泌の嵐に見舞われる。脳の信号処理の特性が変わり、味覚をはじめとする感覚器の様相も変わり、内臓の位置関係も変わる。このため、性格も体質も出産前後で変わる。つまり、出産で、母親自身も生まれ変わってしまうのである。

黒川伊保子『女と男はすれ違う!』(ポプラ新書)
黒川伊保子『女と男はすれ違う!』(ポプラ新書)

私自身は、出産後の自分の方を気に入っているけれど、人によって違うかも。どちらに軍配が上がるわけでもないが、新しいモードに入るのは間違いがない。

母になった女性は、世界中の誰よりもわが子が可愛い。つまり、脳の感覚地図に偏りが生じるのである。ある意味、偏ったものの見方をする脳に変わるわけだ。その「我田引水」ぶりがなければ、子どもなんか育たない。この感性の偏りが、ときに、職場で新機軸の商品を生み、膠着こうちゃくした事態からの脱却に役立ったりするのだから、人生は面白い。

一方で、産まないまま成熟した女性の母性愛は、偏りがなく、惜しみなく社会に注がれる。こういう女性脳は、社会的組織には必要不可欠なのである。古代からの宗教が、巫女やシスターのように産まない女性を確保してきたのには、わけがあるのだ。

「産むことが女のマストだとは思わない」

私は、脳を見つめる者として、産むことが女のマストだとは思わない。子どもを持たない女性は、母である人たちになんら引け目を感じる必要はない。もちろん、チャンスがあったら、逃さず産むといい。子がくれる愛は、何物にも代えがたい。どんなイケメンにかしずくように愛されたって、子どもが母にくれる愛には到底かなわないもの。あの愛は、経験できれば素敵だ。でも、そのチャンスがなかったのだとしたら、それはそれ。誇り高く、別の道を行こう。愛の対象が明確にぶれない母たちの冒険とは少し違って、母にならない女たちは、愛の対象を想念で決める。

ときに、自分がどこに向かっているのかわからなくなり、夜の海に浮かんでいるような気持ちになることもあるだろう。その冒険の旅は、母たちとはまた違う過酷さをはらんでいるに違いない。いずれにせよ、女たちの冒険は、7つの海を越えるよりも壮大なのである。

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