女性は必ず子供を産まなくてはいけないのか。脳科学・AI研究者の黒川伊保子氏は「子供を持たない女性は、母である人たちになんら引け目を感じる必要はない。産まないまま成熟した女性の母性愛は、偏りがなく、惜しみなく社会に注がれる。それも社会的組織には必要不可欠だ」という——。

※本稿は、黒川伊保子『女と男はすれ違う!』(ポプラ新書)の一部を再編集したものです。

夕暮れ時、丘にあるベンチに座る女性(東京・三鷹市)
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男性が「気が利かない」のはやる気がないわけではない

産業社会は、男性脳型である。大量の製品を均一の質で、迅速にコストパフォーマンスよく市場に提供するのに、男性脳は長けた構造をしているからだ。平均的な男性脳は、とっさにゴール指向問題解決型の回路を優先する。感情を極力排除し、潔く目標にロックオンして、ゴール達成に集中する脳の使い方である。情より、理と義で動く、というわけだ。当然、女性も意識すれば、この使い方ができる。デフォルトが別なだけ。そりゃそうだろう、男性脳と同じ回路を使うわけにはいかない。人生の戦略が違うのだもの。

男性脳の多くが、ゴール指向問題解決型回路を優先させるように初期設定されているのは、長らく狩りをしながら、進化してきたからだ。獲物を決めたら、足元のバラやいちごに気を取られているわけにはいかない。目の前の人の感情に寄り添っているわけにはいかない。

だから、気が利かないのである。トイレに立つときは、トイレしか見えない。目の前の空のコップを、ついでにキッチンにもって行けばいいことに気づかない。お風呂に立つときに、さっき脱いだシャツを、ついでに脱衣場に持っていけばいいことに気づかない。あれは、やる気がないのではなく、そもそも、感知していないわけ。

私たち女性が、そんな「ついで」を重ねに重ねて、日々の生活を回しているのに気づきもしないから、家事の正当な評価もできず、妻や母に感謝もできない。妻がくたくたになっているのに、われ関せず、のうのうと生きているように見えるので、妻たちは、無関心、思いやりの欠如、ひいては人間性の欠如に感じて、絶望してしまうのだ。しかしながら、それは濡れ衣である。