子どもを産む時期も自分で毅然と決める

どんな女性も、まずは、そう覚悟を決めたほうがいい。産業社会に素でなじめないからこそ、私たち女性には、処世術が必要だ。男たちにわかりやすい表現力を身に付けなければならない。「わかってもらえない」なんてぐずぐず言っている暇はない。「わかりやすい女」になればいいだけ。

子どもを産む時期も、子どもと仕事(人生)との距離感も、自分で毅然きぜんと決めることだ。その決断が遅れると、やがて妊娠力が落ちて、喪失感に苦しむことになる。子どもを持たない人生もまた潔くて美しいが、「いつか」を先送りしてきて機会を逸すると、脳は喪失感を乗り越えられない。

女の人生は、女が決める。

持つものも、持たないものも。

1986年に施行された男女雇用機会均等法は、女性を「男性脳の土俵」に引っ張り上げた。アウェイでの闘いを、そうとは知らずに強いられた私たちは、男性脳のルールに従って、自らを評価する癖がついてしまった。しかし、ここはアウェイだ。いくら頑張っても、私たちは、本当には幸せになれない。

私たちは、今もう一度、女性脳の世界観を取り戻さなくてはならない。そうして、この土俵をクールに眺めて、利用するだけ利用する。それはそれとして、別次元で、ちゃっかり幸せになる。

「子育て」も大いなる冒険の一つ

男たちは、世界の果てを目指して冒険の旅に出る。その途上で、挫折したり、成果を得て、自分とは何かを知るのである。振り返っての女性脳。私たちの脳には、あらためて冒険なんて必要ないのだ。最初から、自分が何者か、自分が何を欲しているのかを知っているからね。

それでも、女たちは、冒険の旅に出る。「自分を知る」ために旅に出て、「成果」を得る男たちと違って、女の冒険は一段深い。私たちは、「自分が知っていること」が真実かどうかを確認するために旅に出るのだ。そうして、結果、「愛」を得る。

つまりね、女の冒険のゴールは「真実の愛」を知ること。冒険のゴールに成功したかどうかは、本人にしかわからないのである。

そういう意味では、「子育て」も大いなる冒険の一つ。母は勇者である。出産の日、母になる女性たちは、本当にいのちを懸ける。この子が無事産まれてくるのなら、いのちを捧げてもいい……その「思いのしずく」を注ぎ込むようにして、子を産み出す。私は、出産の日を忘れられない。本気でいのちを投げ出した、人生で唯一の日だからだ。痛みなんか、とうに忘れちゃったけれど、あの覚悟だけは忘れられない。

私は、街で幼子を抱く母親たちを見ると、胸がいっぱいになって、抱きしめたくなる。いのちを投げ出して、子育てという冒険の旅に出た、まだ道半ばの美しき勇者たち。すべての幼子の母が、心細いはずだ。守らなきゃいけないものがある冒険の旅だから。