「これはちょろいかな」と思って小説家を目指した
【三宅義和(イーオン社長)】小説家を目指されたきっかけはなんだったのでしょう?
【高嶋哲夫(小説家)】UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)で、「努力では超えられない壁がある」こと、自分の理系の能力の限界を知りました。暗澹たる思いでいたとき、たまたま現地で小説家志望の日本人2人と出会ったんです。彼らの小説を読ませてもらったとき、「こっちのほうが自分に向いているのではないか。これはちょろいかな」と思って、小説家になろうと思ったんですよ。
【三宅】ちょろいというのは、「超難解な物理の問題を英語で解くことと比べたら、実現可能性が高そう」という意味ですね。
【高嶋】そうです。圧倒的に楽だと思ったんですね。読めば意味はわかりますから(笑)。
【三宅】でも、いきなり生計は立てられませんよね?
【高嶋】アメリカから帰国して、生活のために神戸で学習塾を開きました。このときは結婚していました。実はロサンゼルスにいたときも、現地の補習校で教えていたんです。子供の扱いも得意だったし、学生時代も家庭教師をしていたし、資本も大していらないので塾にしました。企業に就職することはまったく考えませんでした。比較的うまくいって、多いときは一人で80人くらい教えていましたね。