小説家の高嶋哲夫氏はさまざまな大災害を書いてきた。その中には、2010年の『首都感染』、2005年の『TSUNAMI』など、大災害を予言したといわれる作品も多い。高嶋氏はなぜ「予言の書」を書くことができるのか。イーオンの三宅義和社長が聞いた――。(第2回/全2回)

「これはちょろいかな」と思って小説家を目指した

小説家の高嶋哲夫氏
撮影=原 貴彦
小説家の高嶋哲夫氏

【三宅義和(イーオン社長)】小説家を目指されたきっかけはなんだったのでしょう?

【高嶋哲夫(小説家)】UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)で、「努力では超えられない壁がある」こと、自分の理系の能力の限界を知りました。暗澹あんたんたる思いでいたとき、たまたま現地で小説家志望の日本人2人と出会ったんです。彼らの小説を読ませてもらったとき、「こっちのほうが自分に向いているのではないか。これはちょろいかな」と思って、小説家になろうと思ったんですよ。

【三宅】ちょろいというのは、「超難解な物理の問題を英語で解くことと比べたら、実現可能性が高そう」という意味ですね。

【高嶋】そうです。圧倒的に楽だと思ったんですね。読めば意味はわかりますから(笑)。

【三宅】でも、いきなり生計は立てられませんよね?

【高嶋】アメリカから帰国して、生活のために神戸で学習塾を開きました。このときは結婚していました。実はロサンゼルスにいたときも、現地の補習校で教えていたんです。子供の扱いも得意だったし、学生時代も家庭教師をしていたし、資本も大していらないので塾にしました。企業に就職することはまったく考えませんでした。比較的うまくいって、多いときは一人で80人くらい教えていましたね。