情報源はインターネットと図書館

【三宅】高嶋さんの作品というと、細部にわたって下調べをされている印象が強いのですが、取材はどんな感じでされているんですか?

【高嶋】実は僕、取材が苦手なんです(笑)。人見知りするんです。もちろん現地などに行くことはあります。でも、見ず知らずの人を訪ねて話を聞くというのはできません。情報源はもっぱらインターネットです。自分の知り合いで、書きたいテーマに詳しい人に話を聞くことはあります。

【三宅】インターネットがなかった時代は大変だったのでは?

【高嶋】ひたすら図書館通いでしたね。でも何十冊もの本をしっかり読み込むのではなく、必要な箇所だけを読むスタイルです。僕は断片的な情報をもとに、さもすべてを知り尽くしているフリをする能力に長けているのかもしれない。コレって、理系的なのかな(笑)。

【三宅】ロジックを積み上げたり、ロジックの穴を塞いだり、ということですね?

【高嶋】ええ。このあたりは理系のバックグラウンドが役に立っているのかもしれません。たとえば、映画化された『ミッドナイト・イーグル』(文藝春秋)ですが、僕、本格的な登山経験がないんですよ。

【三宅】え!? 冬山が舞台の話ですよね。

【高嶋】はい。雪山はスキーしか行ったことがない。だから、登山に関する本を読んだり、アウトドアの専門店に行ってパンフレットを集めたり、登山用の携帯食を買って食べたりしました。このときは、原稿を店員さんに読んでもらって、丁寧なアドバイスもいただきました。僕の高校の同級生で、山と溪谷社の編集長をしていた藤田という友人がいて、「本当に冬山に上るのか」と聞かれたことがあります。「どう思う」と問い直すと、うーんと考え込んでいました。やったと、思いましたね。

【三宅】まさに専門家ですね。

【高嶋】藤田君に指摘されたのは、登場人物がコーヒーを水筒に入れて持っていく場面で、「山を登る人間は、水筒には水を入れている。コーヒーを飲みたくなったらその都度沸かす」と言うんです。「怪我したときなんか、水が必要だろ」。そこまでは、知りませんでした。

阪神淡路大震災で覚えた「作品に残す」という使命感

【三宅】高嶋さんの小説は自然災害をテーマにしたものが多いですよね。

【高嶋】災害ものは、1997年1月の阪神淡路大震災を経験してからです。東灘に住んでいた友人の安否確認に行く途中に「この体験は作品として絶対に残しておかないとダメだ」という使命感のようなものを覚えました。でも、書き上げるまでに9年かかりました。亡くなった方が6400人以上います。ヘンなものは書けないと、資料ばかり読んでいました。集英社の編集者さんから「書くにはいましかないですよ。来年は10年目です」と言われました。マスコミで震災のことが話題になる。多分に商業的な発想だけど、当たっている。神戸を舞台には書けないので、震災から10年後の東京を想定して書きました。東京直下型地震です。神戸の震災被害者である3人の高校生の10年後の物語です。

【三宅】それが2004年発表の『M8』(集英社)。

【高嶋】はい。その翌年に『TSUNAMI 津波』(集英社)を発表しています。『M8』の打ち上げで、僕が「やっとできた」と言ったら、編集者さんから「いやいや、次があるでしょう」と言われて、「そうですよね」と(笑)。お互い、心が通じたというか。

【三宅】そうでしたか。

【高嶋】M8』を書くために震災関連の情報はかなり集めて、勉強していました。日本は地震の巣なんですね。次に起こるのは東京直下型地震と南海トラフ地震です。南海トラフ地震が起こると、大きな津波がくることはわかりきっている。『TSUNAMI 津波』を書いているときも、インド洋で大津波が起きて20万人以上の人が亡くなっています。