妄想にとりつかれ家中のコードを抜く母親

写真の中に写っている高齢の女性は、紫色の花柄のタートルネックを着てベージュのソファーに座ってわずかながら、ほほ笑んでいる。やせ形で白髪が目立つが、ボブの髪型と目元が幸子にそっくりだ。背後には、介護施設の木製の手すりが見える。これが、母の恵子(仮名・78歳)である。写真の中の恵子は、一見穏やかに見える。しかし幸子にとっては、かつてはまとわりついて離れない蠅のような存在だった。

恵子が毎月送ってくる手紙──そこには毎回、自分が欲しいものが書かれている。パジャマやインナー、靴下。しかし、実際に手紙に書いてきたものを送ると、その度にケチをつけられる。母の終わりのない要望、いくらそれを叶えてあげても、尽きることはない。それだけでなく、母は施設でトラブルを起こし、数えきれないほど施設を転々としていた。そのトラウマが、幸子の中で恐怖心として焼きついている。

母の居住地は秋田のため、会うことはないし積極的に会いにいくつもりもない。しかし、何かある度に問題を起こす母親に、幸子はほとほと疲れていた。

「他人から見たら、『かわいそうに、お母さんはあんなに年取ってるのになんでキッとなってるんだろうね』と見られると思う。だけど、抑えられない導火線が自分の中にはあるの。手紙とか介護施設からの電話連絡がくると、それにポッと火がついて、腹が立ってた」

幸子は医療従事者の父親と、専業主婦の母親・恵子との間に生まれた。父親が37歳の時の子供で、当時では遅く生まれた一人っ子ということもあり、父親は幸子をとてもかわいがった。

しかし、今思いかえしてみても、母親からはまともな愛情を受けた記憶はなく、ネグレクトされて育った。それが、幸子にとっては大きな傷となっていた。物心ついた時から、母親は強迫神経症を患っていた。

火事になるかもしれないという妄想を抱き、家中のコードを抜いたり、突然怒鳴り声をあげることもあった。そんな異常な行動を取る母親が、子供心に怖かった。

「かわいがられたい」と言われた母は鬼のような形相に…

幸子には、忘れられない辛い思い出がある。小学四年のときに、自家中毒で入院をしたときのことだ。背中に人の腕ほどの大きい注射をすることになった。子供心にあんなに大きい注射は、怖くてたまらなかった。隣のベッドの女の子は、「注射我慢したよ」と母親に自慢すると、頭を撫でてもらい、「よく頑張ったね」と折り紙を折ってもらっていた。それが羨ましかった。

私もあの女の子みたいに、お母さんにかわいがられたい──。そう母親に伝えた。しかし、母親からは鬼のような形相で、「あなたには十分やってる。私は私で一生懸命やってるの! 今までで十分だから」と突き放された。

普通の子供のように甘えられる母親、それが心底羨ましかった。恵子は感情が欠落したロボットのようだった。

「小さいころ、あなたが泣き止まないから、足をつねってたのよ」と笑顔で言われたこともある。私のこと、愛してなかったんだ。ずっとそう思っていたため、地元の秋田を離れてからは母とも自然と距離ができるようになった。

「母がやってきたことは本人にとっては何の悪気もないと思うの。特に手を上げられたわけでもない。だけど、私にとっては殴ったり蹴ったりと同じだったと思ってる」

幼少期の辛い思いは、大人になった今でも幸子の中にひっそりと影を落としていた。