戸田幸子さん(仮名・50歳)は、かつて自分を苦しめてきた母親への向き合い方に悩んでいた。だが、あることをきっかけに心の折り合いがつけられたという。ノンフィクション作家の菅野久美子氏が聞いた——。

※本稿は、菅野久美子『家族遺棄社会 孤立、無縁、放置の果てに。』(角川新書)の一部を再編集したものです。

車椅子に座るシニア女性の後ろ姿
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介護を皮切りに家族の「面倒くさいこと」が始まる

かつて親に苦しめられた人の中には、親を捨てることを選択する人がいる一方、自分なりに向き合うことを決めた子供もいる。戸田幸子(仮名・50歳)も母親との関係で葛藤を抱えていた一人だった。

取材を通じて感じるのは、親が元気なうちはあまり問題は起きないということだ。親は子供と疎遠ながらも自立的に自分の人生を送っているし、それなりにおう歌しているかもしれない。

しかし、認知症やケガなどで親や兄弟の介護が始まったときから、五月雨式に様々な「面倒くさい」ことが発生し、そこには大きな葛藤が生じる。親族は、身内として突如ありとあらゆる決断を迫られることになるからだ。それは、親と物理的な距離があっても、たとえ親を介護施設に入れていたとしても変わらない。

「毎月、介護施設の請求書と一緒に母親からの手紙が送られてくる。私はそれを『呪いの手紙』と呼んでいたんです。介護施設に入れていても、この手紙が来ると気持ちがガクンと落ち込んで、ざわざわする。辛すぎる。親がおかしいのか、自分がおかしいのか、時たまわからなくなっていました。私の中で、何かが欠落してるのはわかる。私がおかしいのか。でもどこでおかしくなったのか、わからなかった」

関東の介護施設に看護師として勤めている幸子は、そう言って一通の手紙を差し出した。幸子が「呪いの手紙」と呼ぶその封書には、84円切手が貼られていて、文面を見るとボールペンでびっしりとつづられた呪詛のような言葉が並んでいた。

『こんな犬も猫も着ない服なんか送ってきて。自分のことを乞食かと思うこともあります』

幸子は、封筒の中に入っていた一枚の写真を取り出した。