社会通念や模範的な娘像を押しつける世間が辛い

それでも離れて生活していたうちはまだ良かった。父親が70歳で亡くなってから10年間、恵子は一人で生活していた。しかし、11年目の春に突然様子がおかしくなった。

「私の家の井戸水が石油臭い」

そんな妄想に取りつかれて家を出て、賃貸マンションに引っ越したのだ。しかし、その引っ越し先でも「水が石油臭い」という妄想にかられ近所の住民を騒がせるようになる。役所のケアマネージャーから「お母さんの様子がおかしい」と幸子に電話がきたのは、5年前だ。

恵子の行動は異常だが、精神科へ入院が必要なほどではない。それがケアマネの見立てだった。そのため、グループホームへ入居することになった。しかし、そこも「ベッドが固い、変な臭いがする」と二日で飛び出してしまう。移った施設でも、「なんでここはトイレが少ないの」「自殺する!」と施設の職員を怒鳴りつけ、度々トラブルを起こした。そして問題を起こす度に、施設を点々とせざるをえなかった。恵子は施設をたらいまわしにされ、その度に次の施設を探さなければならなかった。幸子は、次第に介護施設からの電話におびえ、不安に襲われるようになっていく。

辛かったのは、担当のケアマネにこれまでの経緯を相談したときだ。ケアマネは、幸子に同情を示しつつも、「でもこれだけは覚えておいてください。お母さん、娘さんが自慢なんですよ」とにべもなく返してきた。そして、母が要求している新しいパジャマを贈るように促してきた。

社会通念や模範的な娘像を押しつける世間、それが当たり前で回っている社会──幸子にとっては何よりも辛かったものの一つだ。

ある日、施設から届いた書類の中にインフルエンザの予防接種の請求書が入っていた。

このまま母がインフルに罹って、死んでくれたらいいのに──、そう願っている自分がいた。

母が亡くなったら、まずホッと胸を撫でおろすはず、幸子はそう感じている。最後までわかり合えなくて残念だったと思うかもしれない。でも、それだけだ。母親は、今この瞬間もグループホームで手厚い介護を受けている。しかし、毎月来る母からの手紙や今後に悩み苦しむ幸子に心の底から寄り添う人はいない。ぽっかりと空いた空虚な穴は、ただただ深まるばかりだ。だから、苦しい。

お正月が終わっても帰ってこなかった80代の男性

転機となったのは、職場の施設で、ある事件が起きたことがきっかけだった。

幸子が勤務する施設には、いつもニコニコと笑顔で接してくれる心の優しい車いすの80代の男性がいた。男性は、息子夫婦の家にお正月に一時帰宅することをずっと心待ちにしていた。

しかし、お正月の帰宅期間が終わっても、男性は帰ってこなかった。いざ息子のもとに帰宅すると、男性は家族にその存在を完全に放置されていたらしい。男性は施設で常用していた薬を家族に飲ませてもらえず病状が悪化し、命を落としてしまったのだ。

幸子は男性の最後の後ろ姿を思い出し、胸にキリキリと突き刺さるような痛みを感じた。

男性は息子の家に帰らなければ助かっていたかもしれない。家族っていったいなんなんだろう──。