※本稿は、内田樹・岩田健太郎『コロナと生きる』(朝日新書)の一部を再編集したものです。
バブル崩壊で始まった日本の凋落
【内田】90年代にバブルが崩壊したあたりから、日本の凋落は始まったと僕は感じているんです。それ以前の70年代~80年代だって、別に日本にはグローバルなビジョンや国家戦略があったわけじゃない。でも、経済成長を続けていずれ“世界一金持ちの国”になるんだという変な勢いだけはあった。そういう「行け行けドンドン」のときは、みんな自分のことで一生懸命ですから、他人のことなんか構っている暇がないんです。国力向上期というのは、そういうものなんです。みんなおのれの出世や金儲けに夢中ですから、他人のことは気にしないんです。オレの邪魔さえしなければ、その辺で好きにしてろよと、放置しておいてくれる。だから、僕らみたいなまるで社会的有用性のないフランス文学とか哲学とかやっている人間にとっては生きやすい時代でした。仏文研究室にもトリクルダウンでじゃんじゃん予算がついたんですから。
それがバブル崩壊からいきなり風向きが変わった。日本全体が貧乏臭くなったんです。貧乏臭くなると何が始まるかというと、人のところにやってきて「お前は何の研究をしているんだ。それは世の中の役に立つのか? 金が儲かるのか?」とうるさく査定するようになったんです。役に立たない部門にはもう予算をつけない、人員もカットする、と。いきなり「せこく」なった。
「人と違うことをするな」という圧力が強まった
【岩田】大学の空気はバブルの前後で大きく変わりましたね。
【内田】とにかくうるさく査定するようになってきた。その査定に基づいて資源の傾斜分配ということをするようになった。限りある資源なんだから成果主義で配分する、というのは一見合理的に見えますけれど、査定をするためには単一の「ものさし」で全員の活動を数値化しないといけない。そして、単一の「ものさし」をあてがうためには、「みんなが同じことをしていて、数量的な差だけがある」という仕組みにしないといけないわけです。100メートル走をしている人間とサッカーをしている人間とダンス踊っている人間を同一の基準で格付けすることはできませんから。全員を同一基準で査定しようとするから、「人と違うことをするな」という同質化圧力が強まる。