江戸時代まで「悪霊退散」は僧侶の専売特許だった

【設問1】ではストレートに「霊魂の存在を認めるかどうか」について聞いている。だが、「信じる」とハッキリ答えた僧侶は6割強にとどまった。【設問2】では、僧侶に除霊などを行う法力・霊力を保持しているかどうかを尋ねているが、冒頭のK住職のように自信をもって魂を操っているとしたのは、4割強にすぎないことがわかった。

調査対象に、浄土真宗系の僧侶も含まれているので、「霊魂」を否定する僧侶が一定数いることは分かっていたが、思ったよりも肯定派が少ない印象であった。

「霊魂」を認めない僧侶が多い理由には、仏教の祖であるお釈迦様が、霊魂の存在を明確には認めていないことが挙げられそうだ。

だが、日本の仏教は少し違う。仏教の教えは中国や朝鮮半島を経由したことで儒教や道教、陰陽道、あるいは日本古来の神道とも混じり合ってきた。日本では「弔い」を通じ、霊魂をコントロールすることを生業としてきた。

さまざまな「悪霊退散」を通じ、仏教界が存在感を強めてきたことは歴史が証明している。例えば、京都で始まった祇園祭。元は、真言宗寺院の神泉苑で始まった「御霊会」に端を発する。御霊会とは怨霊を鎮めることで、さまざまな災厄を取り除く宗教儀式のことだ。江戸時代までは、「悪霊退散」は僧侶の専売特許であった。

祇園祭の夜
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僧侶自信の霊的体験「亡くなった直後の本人が、死を告知してきた」

だが、明治期、原始仏教の原点に戻ろうとする動きが起こる。そしていま、オリジナルの「原始仏教」と、日本で醸成されてきた「日本の仏教」との間で霊魂の存在を巡って、齟齬そごが生じているのだ。

また、僧侶が科学万能社会の中で、霊魂に関して反論できなくなり、身を守るためにますます霊魂に関わらなくなってきた。霊魂を語らなくても、檀家制度の下に食べていける状態だから、あえてリスクのあるこの問題に首を突っ込む必要がなくなっているといえる。

だが、除霊などの社会のニーズは今でもたくさんある。【設問3】「あなたは、檀家や一般人から『霊魂』『不思議現象』に関する相談を受けて、供養・除霊・鎮魂などの宗教儀式をしたことがありますか」に関しては、6割が「ある」と答えている。

興味深いのが、僧侶自信の霊的体験である【設問4】だ。死の臨床現場に関わる職業柄だろうか。意外に多く(約4割)の僧侶が、霊魂現象に接してきている事実が浮かび上がってきた。

実はこの項目で自由記述欄も設けていた。すると、こんな回答が目についた。

「夏のある日の夜、夢を見た。誰かが亡くなり、ご自宅に伺って枕経(臨終後、すぐに遺体の前で読経すること)をしているところでした。翌朝、実際にその檀家さんが亡くなったとの知らせを受け、枕経に駆けつけると夢の中で見た部屋と、全く同じ部屋でした」
「来客用の玄関ブザーが鳴って外に出ても誰もいない。しばらくして、檀家さんの訃報が届けられました」

多くの僧侶が「死の予知」を経験していたのだ。つまり、檀信徒が亡くなったとの知らせが寺に届く前に、僧侶の身の回りで「死を知らせる何らかの霊的現象」が起きることである。冒頭のK住職にも、死の予知の経験があるという。

こうした、死の予知は、「夢」や「音」などを媒介にすることが多いようだ。だが、驚くべきことに「亡くなった直後の本人が、死を告知してきた」との回答もあった。ひとりの僧侶(高野山真言宗の住職)に実際に聞き取りをしてみた。

「先代が深夜読書している際に玄関のチャイムが鳴りました。出て見ると知り合いの檀家の方が立っている。『どうしましたか』と話すと『近くに立ち寄ったら、お寺の電気が付いていたから立ち寄った』と話され、帰られました。翌朝、電話が鳴ってその方が病院で亡くなられたとの話を聞いた。檀家さんが亡くなった時刻が寺に来た時間と同じ頃でした」