まず一つ目の前提が怪しい。F型コミとC型コミを人間が選択できるなら、仲間割れは起きないはずだ。たとえば、新たにプロジェクトが発足したとき、たいてい和気あいあいで、未来への希望に燃えている。仲間割れがよいと思う人はほとんどいないだろう。F型コミとC型コミを選択できるなら、ずっとF型コミでいけばよい。ところが時が経つにつれて、お互いの考えや価値観の違いがあらわになってくる。組織を一つにまとめようとすれば、リーダーは反対意見を抑え、リーダーの意思に従わせるため、C型コミをとらざるをえなくなる。

コミュニケーションは、社会的なコンテクスト(文脈や流れ)のなかで発生する。人と人との関係で重要なコンテクストは、仲良くするコンテクスト(接近)と対立するコンテクスト(回避)の2つであろう。当事者同士はコンテクストを選択できない。仲良しコンテクストならF型コミがふさわしく、対立コンテクストならC型コミが有効である。もしコンテクストに関係なく、C型コミかF型コミかを自由に選べば、社会生活は破綻してしまう。

たとえば結婚式の披露宴に招かれた人たちは、仲良くするコンテクストに組み込まれている。そのような流れのなかでC型コミを選択し、「あなたのスピーチは人生の本当の姿を無視していて賛成できないです。そもそも結婚が人間に幸福をもたらす保証などありませんよ」などと言いだしたら、せっかくの披露宴は台無しになるだろう。対立するコンテクストにF型コミをもちこんで「悪い感じ」を与える典型的な例は悪徳業者の愛想笑いコミュニケーションである。つまりF型コミは感じがよく、C型コミは感じが悪いという二つ目の前提も間違っている。留意すべきは、コンテクストに合わないコミュニケーションをすると感じが悪くなるということだ(*注1)。

ビジネスの現場では利害が相反する対立コンテクストのほうが、仲良しコンテクストよりも多いのではないだろうか。そのため「さあ、みんなで仲良くやりましょう」という流れのなかで有効なF型コミよりも、「生き残るためにわずかな利益をいかに自分のものにするのか」という厳しいコンテクストのなかでのC型コミのほうが重要だと思われる。

冒頭の恐喝的な言動をしたビジネスパーソンと私は、利害の相反する対決コンテクストのなかで出会っていた。恐喝的な言動がC型コミの一種と考えれば、あのビジネスパーソンはコンテクストを正しく読み取っていたのである。「二度と会いたくない」と思わせたのはC型コミのスキルに問題があったからではないかと仮説を立てた。

そこで私は究極の対立コンテクストのなかで、C型コミを駆使して、対決する相手から「敵ながらあっぱれ」と心から思わせる人を探すことにした。究極ともいうべき対立コンテクストが存在する職業として債権回収と警察を選び、債権回収に関してトップクラスのビジネスパーソンと弁護士、30年を超える刑事歴を持つ人にインタビューをお願いした。そのインタビューからC型コミの3つの鉄則を抽出することができた。