ブレッドオーブンの外観デザインは木目調だ。これまでのトースターは忙しい朝にキッチンでパンを焼くための器具だった。一方、ブレッドオーブンはダイニングテーブルに置いて使うことを想定している。違うカテゴリの商品であることを外観からも訴えているのだ。
さらにブレッドオーブンは、実はパン以外の食材の調理にも使うことができるのだが、コンセプトを明確に伝えるため、ホームページなどでは「パンをおいしく焼く」という用途を前面に打ち出している。「一点突破」のために余計なものはそぎ落とす訴求アプローチである。
ブレッドオーブンが起こしたバリューイノベーションとは
三菱電機のブレッドオーブンは、「バリューイノベーション」の好例と言える。
バリューイノベーションとは、顧客に価値をもたらす新結合を通じて社会や産業の新局面を切り開いていくイノベーションである。そのねらいは、競合他社に対する優位性ではなく、顧客にとっての価値にあり、先端テクノロジーなどを駆使することは必須の条件ではない。枯れた技術で実現する製品やサービスであっても、顧客が喜んで対価を支払う便益を実現していれば、企業の業績をしっかりと支えることができる。
バリューノベーションを導く手法として、INSEAD(欧州経営大学院)教授のW・チャン・キムとレネ・モボルニュの両氏が主張したのが「ブルー・オーシャン戦略」である。そこでは新しい便益要素を増やしたり、創造したりするだけではなく、既存の便益要素を取り除いたり、減らしたりすること、そしてノンユーザーを取り込むことの重要性がうたわれている。コロナ禍にあって再確認しておくべきマーケティング理論と思われる。
ブレッドオーブンのように、おいしいパンを家庭で食べることにこだわる人が増えているという生活上のシフトにこたえ、かつ市場での競争から抜け出し、自社の付加価値を高めていくには、八方美人型のニーズ対応への誘惑を断ち切ることが欠かせない。早く焼き上げる、たくさん焼く、省スペースを実現する、パン焼き以外の多様な調理にこたえる……。そうした多面的な対応を追いかけることは、製品やサービスの仕上がりを中途半端なものとし、既存のトースターと同じカテゴリでのマーケティングを余儀なくされる。その先に待ちかまえているのは、既存トースターとの価格競争という「レッド・オーシャン」である。
ブレッドオーブンは八方美人型への誘惑を断ち切り、焼きたてパンのおいしさを実現するという目標に集中することによって、おいしいパンを焼けるトースター市場という競合他社がほとんどいない新市場を開拓した。従前はおいしいパンを食べることにこだわる人たちのなかには、トースターを利用するのではなく、ホームベーカリーを購入したり、パン店で焼きたてを購入してすぐに食べるようにしたりしていた人が少なからずいたと思われる。ブレッドオーブンは、こうしたトースターのノンユーザーを取り込みながら高付加価値を実現している。
現在ではコロナ対応の新製品、新サービス、そして新スタイルの営業などに向けて走り出している企業も多いと思われる。自宅での時間の充実、テレワークに対応した仕事の進め方など、マーケティングがこたえるべき変化が各所に生じている。しかしそこにおいて、新たな便益要素を増やすだけの対応に終わってしまってはいないだろうか。自社の付加価値を向上させる機会を見逃してしまってはいることはないだろうか。コロナ禍の今、ブルー・オーシャン戦略のエッセンスを振り返っておく意義は大きいはずだ。