「悪意の先駆的条件3つ」がそのまま「バカの条件」に

個人主義や自己中心主義は決して目新しいものではないが(1980年代から1990年代にかけて、すでにテレビによって自己アピールの場が与えられている)、ネットは「世界は自分中心に回っている」と人々に思わせることで、こうした個人主義や自己中心主義をさらに肥大させた。フェイスブックの「ライブ動画配信」は、スマートフォンで自分のまわりの世界を撮影し、それをほかの人たちに見てもらうための機能だ。誰もがニュースメディアになりうるこの機能こそが、肥大した自己中心主義の新たな症状のひとつと言えるだろう。

ただし、誰もが世界の中心になりうるということは、全員が横並びだということでもある。そこでネットユーザーたちは、あらゆる手段を使って十把ひとからげから抜きんでて、自分だけが有名になろうとする。この「自らの存在意義のために有名になりたいという欲求」こそが、SNSの3つ目の特徴である。

(1)生活のスペクタクル化、(2)何でも裁きたがる傾向、(3)有名になりたいという欲求……こうしたSNSの3つの特徴は、〈悪意の先験的条件〉であるのと同様に、〈バカの先験的条件〉とも言えるかもしれない。なかなか興味深いテーマだ。わたしはこの3つの特徴をコンパスにして、中心ばかりが増えて外周がない、このSNSという奇妙なフィールドを歩いていきたいと思う。

過激化する「チャレンジ動画」

動画を共有するYouTubeのようなサイトができたことで、誰もが自分の「チャンネル」を持てるようになった。そのチャンネルでは、自分が気に入っている既存の動画を集められるほかに、自らが作成した動画を公開することもできる。この機能のおかげで、生活のスペクタクル化がさらに加速した。とくに顕著なのは、「自分はこんなにすごいことができるぞ」と、他人にアピールする「チャレンジ動画」だ。