晒し者にする手口は戦前と同じでした

自民党は親韓で、旧社会党が親北であったことは事実である。時代と言えばそれまでだが、冷戦の終結と55年体制の崩壊、新党乱立によるそれまでのイデオロギー対立のうやむやという90年代を経て、イデオロギーによる対立が単なるコメントの優劣を競うネットコミュニティのパーツになり果てた2000年代へ。パチンコはこうした社会の変遷の中でもしたたかに生き残ってきた。現在も22万人が従事する20兆円産業として日本のレジャー産業の3割近くを占める(『レジャー白書2019』より)。

「80年代はよかった。本当に稼ぎました。でもいまはまた規制規制でかわいそうです。あとを継いだ連中も苦労しているでしょう。そんな中にこのコロナ。自粛は仕方ないにしても、晒し者にする手口は戦前と同じでした。あの時ざまあみろって笑った人たちも結局ひどい目に遭いました。パチンコが気に入らないはずが、パチンコだけじゃ済まなかったんですよ。悲しいことです。パチンコ業界よく乗り切ったと褒めたいところですが、袋叩きがね、あの時代に戻ったみたいで悲しかった」

パチンコが叩かれた時、自由が消えることのほうが怖かった。

どこか寂しそうな上目遣いでアイスコーヒーを吸う池田さん。私はすっかり背筋を伸ばして聞き入ってしまった。

実体験は何物にもまさる。私たちはこうした先人の教訓を、このコロナ禍で何も生かせなかった。これには右も左もないだろう。「隣組」やら「国防婦人会」のごとく自粛警察が跋扈し、不謹慎だと店に張り紙を貼り、あるいはネットで晒し者にした。やがて社会不安に便乗する連中の目的はコロナ関係なく「気に入らない」というお気持ち次第となり、ついにはひとりの女の子を死に追いやった。

「娯楽が自由な国ってのはいい国なんです。私だって今どきのバカバカしいテレビとか見ませんけど、ああいうのがいっぱいある国っていい国なんです。だから日本はいい国なんです。パチンコが叩かれた時、私は自分の会社がどうなるかより自由が消えることのほうが怖かった。私はその結果を知ってますから」