昔は硬貨をそのまま入れて打っていた

池田さんは80歳を越えている。かつてはホール運営に関わっていたが、いまは引退して悠々自適、趣味は散歩で1日1万歩は歩くという。

「パチンコは面白いけど健康によくないよ、座りっぱなしは死ぬんだよ」

小さくて可愛いお爺ちゃんにしか見えない池田さんだが、なぜか緊張させられてしまうのは修羅場をくぐってきた証か。ところでこの取材、文字数に限りがあるので歴史の諸説については割愛している。また池田さんの年齢的に、どうしても現代のコンプライアンスにはそぐわない発言もある。彼らの世代には普通だったことも、今では批判を受ける発言もあるだろうがご容赦いただきたい。私たちも、数十年先には同じような目に遭う、いや、すでに80年代、90年代までの性に対する旧来的な意識のために世間から叩かれることは珍しくない。芸人のコントや発言が時代の空気にそぐわず叩かれたように。

「日野さん知ってます? パチンコの原型って、最初は硬貨を入れてそのまま打ったんですよ。これはさすがに私も明治生まれの親から聞いた話ですけどね」

戦前、パチンコ店のほとんどは日本人の経営

そういえばパチンコではないが幼いころ、地元スーパーのゲームコーナーにそんなゲームがあったような。それは10円玉を直に入れて、その10円玉を左右に弾くものだった。うまく最後の穴に入れればガムかなんかが出てきたが、いま思えば現金を入れてそのまま弾く子供のゲーム機なんて、昭和とはいえ凄いゲームだ。

「そうそう、そんなのです。まあピンボールですね(コリント、バガテルなど諸説あり)。でもね、昔の硬貨には菊の御紋がついてたんですよ。そりゃまずいよね、菊の御紋をゲームで弾いて景品もらうなんて不敬ですよ。だから小さなボールにしたんです」

当時、不敬罪は逮捕なので当然まずい。俳句すら菊の季語でうっかり詠んだら難癖つけられて不敬にされた時代である。それ以降も規制に次ぐ規制だったようだ。

「戦前もあちこちで禁止になりました。流行りすぎて目をつけられたんですね。そのたびにお目こぼしをもらうことで生き延びました。もちろん店のほとんどは日本人の経営ですよ。朝鮮もシナ(ここでは台湾と中国の一部のこと)も日本でしたから」