パチンコが全面禁止になった日中戦争と、現代日本

そう、とくにネット民の一部が勘違いしているが、パチンコは戦前からあり、それはあたり前のことだが韓国も、北朝鮮も存在しない時代からあった日本人の娯楽だったのだ。アメリカがピンボールとなり、イギリスがコリントゲーム(これは日本ではスマートボールになる)、日本ではパチンコとなった。まさしくパチンコは日本人が改良し、発明した日本人のものである。

「私の子どものころ、パチンコは戦争で全面禁止になりました。不要不急の娯楽ですからね。シナ事変(日中戦争のこと)あたりからだと思います。コロナと一緒ですが、国が強制できた時代でしたから、最後は全部潰れました」

国家総動員法では国の命令は絶対で、財産権も自由権も、生存権すら国によって制限できた。パチンコ禁止どころか、そもそも国の命令ひとつで誰しも命を差し出さなければならなかった。もちろん現在の日本では不可能なほどに野蛮な前近代的法律なので、このコロナ禍で同じようなことはできず、国も自治体もあくまで「お願い」をするしかなかったことは記憶に新しい。

知られざる三点方式のルーツと韓国・朝鮮人の登場

「戦争が終わったら、みんな軍の余り物で商売を始めました。そんなときにボールベアリング(機械の回転部分に使う軸受)の玉がいっぱいあまっちゃったんで、それでパチンコを再開した人たちがいました。正村竹一さんって人がいまのパチンコ台の原型も作りました。釘と風車とポケットですね。1個1個打ってたものも連発式になりました。大ブームですよ。景品ももらえるし、とくに食料は嬉しい時代です。いくらお金を持ってても食料が手に入らない時代でしたから。パチンコ屋の前にはそんな食料を買い取る業者も現れました」

なるほど、池田さんはこの点ノーコメントだったが、俗に言う三店方式のルーツだろう。

「その業者には韓国や朝鮮の人も多かった。儲かるからやってみようということになったんでしょうね、彼らはパチンコ店自体も始めました。だから元々は日本人がやってたものが、彼らも参入してというわけなんです。朝鮮戦争が終わって、どっちの国もパチンコが儲かるから国を挙げて奨励したのもあったんでしょうな。朝鮮戦争で日本は儲けて、あちらさんはボロボロになりましたから、金が欲しい。どっちも日本とは正式に国交がないし半島は焼け野原、彼らも日本に残るしかなかったのでしょう」