「実際に行動しないと飢え死にしちゃう」

池田さんもパチンコ店で仕事を始めた。日本人の店だったという。

「昔からイメージは悪かった。仕事しない人とか朝から集まりますからね、ナイフで脅されたり、殴られたりは普通でした。それに連発式になったら擦る額も大きくなって、勝った負けたの夜逃げとか殺傷沙汰になっちゃった。それで連発式が禁止になっちゃって、みんな廃業した。この時二束三文で店を買い取る人がいました。帰国事業で帰るって同胞の店を買い取った人もいました。経営者はあっちの国の人ばかりになりました」

池田さんの記憶なので実際とはズレがあるかしれない。また、池田さんの時代も規制で大変だったそうだ。パチンコはゲーム性で勝負するためにチューリップや「役物」と呼ばれるギミックを取り入れたが、それでも射幸性が薄い限り客足は伸びない。

「だからあっちの国の人たちとは対立もしましたけど協力もしましたよ。不当な調査が入れば税務署にみんなで押しかけたり、政治家に陳情したりね。実際に行動しないと飢え死にしちゃうもん。まあ若かった」

あの時、日本人にとって韓国は味方だった

私自身も耳が痛い。そう、実際に行動しなければ駄目なのだ。ネットで吠えても届きはしないし叶いもしない。池田さん世代のこうした政治運動や労働運動を笑ったり、非難したりする団塊ジュニアも多いが、本来の政治参加とは連帯し、行動することだ。それにより団塊世代から上の世代が今日を勝ち取った事実は揺るがない。

「冷戦だからね、韓国は味方だった。自民党だってみんな親韓だから民団の人たちと協力しました。共産主義者から核ミサイル打たれるぞって時代でしたから」

そう、私も幼いころはそうだったが、韓国は西側勢力で味方という意識だった。軍事独裁政権で情報が限られたこと、在日韓国・朝鮮人が私の田舎には少なかったからかも知れないが、冷戦はシンプルで、敵と味方がはっきり分かれていた。池田さんに「いまのネットにいる保守の人たちは反韓が多いんですよ」と言ったら「なんで保守が反韓なの?」と笑われてしまった。