新型コロナウイルスによる集団感染が発生した豪華客船「ダイヤモンド・プリンセス」は、2月中旬から乗客の下船を始めた。だが、妻と2人で乗船していた小柳剛さんは「当日まで下船日を知らされず、家まで自力で帰ることも聞いていなかった。これは何より驚きだった」と振り返る――。

※本稿は、小柳剛『パンデミック客船 「ダイヤモンド・プリンセス号」からの生還』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。

朝、船長からバースデーケーキが届く

2月18日
六時半起床、八時半朝食。

船長から届いたバースデーケーキ(撮影=小柳 剛)

すでに食事は船内ではなく外部でつくられ、持ち込まれていた。いくつかの食料が薄いプラスチックのパックに入れられ、それらが紙袋に入れられ渡された。隔離当初は食事は皿に盛られ渡されていた。だから運搬に慣れないクルーは、いくつもの皿を運ぶことに相当苦労していた。

それは私たちが傍目に見てもすぐわかるほどだった。なにしろ全室へ食事を配るなど、はじめての経験だったからだ。この外部から持ち込むという方法は、たしか船長によれば、料理づくりのクルーを休ませるためだと記憶している。しかしこれも下船してから知ることとなるのだが、料理スタッフは一部がアメリカに帰国し、一部が感染していたのだ。

10時半、船長からバースデーケーキが届けられた。なんと今日は私の誕生日だったのだ、私も忘れていた。なんというバースデー。ケーキには船長からのバースデーカードも添えられていた。このようなプレゼントはクルーズ船ではよくあることのようだ。モニターに流れるビデオには、船内でだけ放送される「モーニングショー」なる番組がある。その日の船内イベント情報、寄港地情報、ときには買い物はどこでするのがお得かなど、いろいろ。この番組でも、その日のバースデーを迎える人の名前を読み上げていた。しかし隔離中は人数だけに変わっていたのだ。「だからケーキのプレゼントは決して珍しいことではない」、そう妻は教えてくれた。