私たちも何かにせかされるように、荷物のパッキングをはじめていた。二人おたがい相談することもなく、いつの間にかはじめていたのだった。動いていないと、取り残されるのではないかという不安につきまとわれていたからだ。明日は駄目でも、明後日の下船は決まっている。ならば今日できる荷づくりはやっておこう、正しいのだが私たちにとっては無理やりと感じられた理屈をつけて動いていた。
駅で降ろされ、自力で帰るということを報道で知った
16日前、2月3日に一度詰めた荷物を再度詰め直す。すると、下船がみごとに裏切られたあのときの気持ちがよみがえり、本当に下船可能なのかと、なんともいえずいやな気持ちに襲われるのだった。私が荷づくりに追われているあいだ、行動が散漫になっていたに違いない妻はさかんにネットニュースを検索しだした。日本人の下船者たちがどのように帰るのか知りたかったからだ。報道では駅までバスで送り、あとは自分たちでの対応ということを知ったのだが、これは何よりも大きな驚きだった。
私たちは、てっきり自宅近辺まで車で送られるものと思っていたからだ。たしかに厚生労働省のプレスリリースには、国立感染症研究所のお墨付きで、検査が陰性で問題なければ公共交通機関を使用して問題なしと書かれてある。しかしその後、下船してからの行動というアンケート用紙が配られ、日本人の帰宅の場合は住所を書かされたのだ。
記入するその理由は、まとめて車送りのためと考えるのが自然ではないか。またいくらPCR検査をしたとしても、15日に検査を受けて以降、音沙汰のなかった空白の4日間での感染可能性、そして隔離状態とはいえ、たえずクルーに接することによる感染の可能性を私たちは充分知っていた。なんとも割り切れない気持ち、いやむしろ怒りに似た気持ちはその後も続くのだった。瞬く間に夜に。今日も下船通知はこないようだ。(続く)