新型コロナウイルスによる集団感染が発生した「ダイヤモンド・プリンセス」。運行を担うプリンセス・クルーズ社は、日本以外でも系列の豪華客船から感染者を出していた。夫妻で乗船していた小柳剛さんが、当時の同社の対応を振り返る――。
※本稿は、小柳剛『パンデミック客船 「ダイヤモンド・プリンセス号」からの生還』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。
乗客の感染情報が知らされても通常営業だった
2月1日深夜、香港政府が〈ダイヤモンド・プリンセス号に乗船し、1月25日に香港で下船した中国人に新型コロナウイルスによる肺炎が確認された〉と発表。この情報はすぐさまプリンセス・クルーズ社にも伝えられた。また香港政府の疫学者も同社に「船の完全な浄化と消毒を助言する」と伝えた。しかしダイヤモンド・プリンセス号はどのような措置もすることなく、4日の夜まで船内は通常営業のままだった。2日夜には、さよならパーティを行い、多くの乗客はアトリウムやバーで騒いでいた。またクルーズ最終日である3日の昼には、妻は船内バーゲンセールに多くの乗客が群がっていた光景を見ていた。
同日夕方、検疫情報が伝えられたとしても船側はやはり通常の営業で、各レストラン、ビュッフェは開いていたし、私たちも3度の食事はそこでとった。また船内も乗客たちは普段の行動パターンをとり、緊張感はほとんどなかった。私たちはといえばどうか。船内で通常の行動をとることにとても嫌な感じをもっていた。しかしもっていただけで、食事をとるために部屋に閉じこもることはできなかったし、そんな気すら起きなかった。つまり、新型コロナウイルスに関する危険認識はやはり甘いもので、この本を書きつけている現在と比べて雲泥の差があったことはいうまでもない。