検温したら「37度」を指し、緊張が走る

2月19日
6時半起床、八時半朝食。

昨夜のように食事にあぶれないため、食事を配る音に耳を澄ませた。食事を受け取るとき、昨夜のことを何か言うのか、謝るのかと身構えたが、クルーは何ごともなかったかのように通り過ぎていった。おそらくミスがあったことの連絡はされていなかったのだ。船全体のオペレーションが軋みをあげだしたように感じた。隔離がはじまった当初、たしか2月7日に全室に体温計が配られた。毎朝、毎晩、検温し健康状態をチェックするためだ。

私たちは規則正しく、検温は欠かさなかった。だいたい私は36.5度前後を上下、妻のほうは35.5度、ときにはようやく36度に達するかの体温。しかし私のこの日の体温計は37度を指していた。一瞬緊張が走りふたたび検温、やはり同じ。朝からこのような体温ははじめての経験だった。しかしながら、どのような処置方法もなく無視するよりほかない。

私は今回の航海において、体温測定はウイルス感染の有無を調べる基本中の基本だと知った。沖縄・那覇に上陸のおり、また2月4日の検疫における体温測定はこの基本を実行していたにすぎなかった。このことからも、乗客にとって体温計がないことは致命的であると思った。しかし体温計が配られたのは、隔離後2日たってからだった。このような微細なことからも厚生労働省、プリンセス・クルーズ社の混乱ぶりが想像されるのだ。ふたたび11時に再度の検温、今度は36.2度。体温はかなり乱高下しているようだ。妻の空咳と同様これも気にしないことにしよう、気にしだすとかえって体に悪い。

ようやく荷造りを開始

この日は、朝から船内放送はひっきりなしに続いた。これからの下船情報、新しくそろえたビデオ情報、これらが終わると下船がはじまり、下船案内。このあいだに相変わらず続く船内散歩案内が入った。途切れることはなく、しかも音のレベルは最大級、耳が痛かった。

今日は500人が下船予定らしい。しかしその内訳は、年齢の高さ順なのか、国籍か、体調を基準にするのかは、これまでいろいろ知らされていたが、では今日は実際どのようになるのか。それは想像するよりほかなかった。隣と前の部屋のオーストラリア人(たぶんそうだ)たちは、2日前に帰国が決まってか歓声をあげていた。隣の部屋からはすでに物音は消えていた。また反対側の隣部屋はたしか日本人夫婦で私たちより年上だったと思う。昨夜大きな物音がしていた。おそらく荷物を詰める音なのだろう。今日はすでに朝からどんな音も聞こえなかった。