新しい価値観を取り入れることに心理的な抵抗

テレワーク推進の障壁となっているハンコ文化をどう考えるかによって、今後の企業の事業運営体制、競争力などにはかなりの差が出る可能性がある。

わが国では、多くの企業において顧客との契約書面、社内資料の承認や確認などに印鑑(ハンコ)を押すことが当たり前だ。電子印鑑も使われてはいるが、重要な書類ハードコピーを作成し押印しなければならないと内規で定められているケースは多い。また、市町村に提出する申請書などは勤め先の社印や実印が必要になることも多い。

一説によると、押印を重視する文化は明治期に定着したといわれる。明治政府は欧米のようにサイン(署名)による公的手続きを導入しようとした。しかしこの考えは、識字率の問題や事務の手間といった反対意見により、結果的に公的な手続きには印章が用いられることになった。これは、それ以降のわが国資本主義における意思決定のメカニズムに組み込まれ、デジタル化が進んできた中でも続いている。

ある意味、わが国の社会は新しい価値観を柔軟に取り入れることに心理的な抵抗を持ち続けてきたといえる。それはハンコ文化に限らない。

たとえば、終身雇用制度は戦後の復興期に企業が十分な労働力を確保するために重要な役割をはたした。ただ、高度経済成長を経て1990年代初頭の資産バブル崩壊後、終身雇用制度は企業の成長よりも業績などの足かせとなった側面がある。それでも、多くの企業が終身雇用の発想から脱却しきれていない。

バブル後の日本は「現状維持」の発想

視点を変えると、わが国は環境の変化に適応することが得意ではないように見える。この問題から資産バブル崩壊後のわが国を考えることは有益だろう。

資産バブルが崩壊した後、わが国では急速な資産価格の下落から景気が低迷した。不良債権問題も深刻化した。景気の低迷を脱却し、潜在成長率(経済の実力)を高めるためには、構造改革と同時に不良債権処理を進め、在来産業から成長期待の高い分野に経営資源が再配分されやすい環境を整備しなければならない。構造改革や不良債権処理は一時的な痛みを経済全体に与えるが、持続的な経済の成長を実現するために欠かせない。

しかし、わが国は雇用の保護を過度に重視してしまった。1997年度まで、すでに需要が飽和していた公共工事を軸に景気対策が打たれた。それは、バブル崩壊後の景気低迷という変化に対応するよりも、変化に背を向けて現状を維持する発想といえる。結果的に、不良債権問題は深刻化した。

1997年には金融システム不安が発生し、大手金融機関の経営破綻が相次いだ。バブル後のわが国の対応は、リーマンショック後に米国が規制緩和や不良債権処理などを迅速に進め、戦後最長の景気回復を実現したことと対照的だ。