自動車メーカー各社が自動運転技術の開発を進める中、スバル(SUBARU)は自動運転に参入しないことを明言している。その理由は、前身の中島飛行機時代から受け継がれている徹底した「安全思想」にあった――。
※本稿は、野地秩嘉『スバル ヒコーキ野郎が創ったクルマ』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。
創業期から一貫して注力してきたもの
森郁夫が社長を辞め、後任が吉永泰之になったのは2011年の6月。東日本大震災の直後だった。そして、森、吉永の時代に富士重工は成長する。
毎年、販売台数を伸ばし、106万台を売るようになった。しかし、それでも世界の自動車販売シェアから見ればわずか1パーセント。量販車を出している自動車会社のなかではもっとも小さな会社である。
では、その会社の技術面での大きな特徴とは何か。
自動車の速さを実現することでもなければ車体デザインの流麗さの追求でもない。燃費が他社の車に比べてひときわ抜きんでているわけでもない。そして、もはや水平対向エンジンでも四輪駆動でもない。
彼らが創業期から一貫して注力してきたのが「安全」だった。
中島飛行機にフランスからやってきたアンドレ・マリー技師が口を酸っぱくして日本人技師に教えた「搭乗者の安全を守る設計」が富士重工の技術の本質だ。
スピードを上げること、エンジン出力の増大、スタイリッシュなデザインの開発もやってきたには違いないが、根底にあるのは事故を起こさない安全性、事故が起こったとしても、乗員や巻き込まれた歩行者を守る安全技術を貫くことだったのである。