新中国建国(1949年)後、李徳全は女性として初めて中国の閣僚(衛生部長=日本の厚生労働大臣に相当)に就任。中国の赤十字社である「中国紅十字会」の会長も兼任した。その頃、日本の首相は吉田茂だった。

「嫌中」の時代に日本人の引き揚げに尽力した

当時、日本が国交を結んでいたのは台湾の中華民国であり、中国ではなかった。戦争直後であり、「嫌中」が当たり前の時代、中国に残る日本人の帰還を望む日本では、人道主義に立つ赤十字というチャンネルを使い、日本赤十字社の社長が中心となって中国側に働きかけた。そこで登場したのが李徳全だ。背後には、毛沢東や周恩来、そして、知日派として知られる廖承志りょうしょうしという人物がいた。

ただの感動物語というだけではない。日中双方には外交的にさまざまな思惑があった。日本にとってはもちろん人道的な問題が第一だが、中国側には日本を突破口として、国際社会(特に西側諸国)から一人前の国家として承認してもらいたいという目的があった。温厚な女性であり、クリスチャンの李は、そんな中国側の狙いを背負うのにうってうけの人物だった。

日中双方が北京で会談を行った結果、帰国者を乗せた帰国船が次々と帰還。約2万6000人以上が、生きて再び日本の土を踏むことができた。しかし、数々のトラブルにも見舞われ、帰国船は途中で打ち切られてしまう。残った数千人の日本人の帰還をどうするか、という議論とともに、持ち上がったのが李の来日だった。

多くの日本人に歓喜の声で迎えられた

本書の後半では、李の14日間に渡る日本訪問の舞台裏や詳しい行程がドキュメンタリー・ドラマのように展開されていて、おもしろい。本書で描写される1954年の日本は、まだテレビ放送が始まって1年しかたっておらず、東京タワーも、東海道新幹線もなかった。日中間には国際線の飛行機もなく、李の住む北京から東京にやってくるのには、陸路で香港まで行き、そこから飛行機に乗るため、なんと1週間もかかったそうだ(現在は直行便で約4時間)。わずか50年弱で、日本も中国も、ずいぶん変わったものだと驚かされる。

クライマックスは、来日の際、李が持参してきた「戦犯名簿」を読み上げ、日本人戦犯の釈放を発表するところだ。これは大ニュースであり、親族が生きているかも分からず、心配していた家族を始め、多くの日本人に歓喜の声で迎えられた。そのときのことは、2008年11月30日に放送されたNHKのドキュメンタリー番組「“認罪”~中国 撫順戦犯管理所の6年~」の中でも紹介されているという。