李の来日は、新中国が日本の戦争責任の問題に一区切りをつけるという象徴的な意義があった。
本書を読んで驚いたことは数々あるが、そのひとつは、李が日本の行く先々で大歓迎を受けたことだ。当時、日本と中国は国交がない。その意味では、今の日本と北朝鮮のようなもの、と言い換えてもいいのかもしれない。共産国家・中国からの要人来日を成功させることは、双方にとって想像を絶する苦労があった。
そんな半世紀近く前の知られざる「秘史」を読むと、外交の仕方、民間人のつき合い方として、参考になることが多くある。
特定の国に怒りをぶつけても何も生まれない
年間1000万人近い中国人が来日し、日本全国を自由に旅行し、双方の情報を瞬時にネットでチェックできるようになった現在の日中両国は、当時とは比較できないほど変化し、前進した。しかし、交流は増えたものの、政府間の軋轢がなくなったわけではなく、相互理解が非常に進んだというわけでもない。ネットの時代になり、情報の伝達スピードは速くなった反面、正確に、誤解なく他者に伝えることはむしろ難しくなった。間違った情報を信じ、それに流されてしまうことも多い。
そんな時代に本書を読み、改めて、日中間の先人たちの苦労を思い知った。そして、未知のウイルスに立ち向かうという厳しい状況でも、必ず道は開ける、ということを改めて実感し、前向きな気持ちになれた。
新型コロナ騒動が浮上して以降、メディアに流れる情報の大半がこの問題で占められ、少し前まではそのほとんどが武漢に関する内容だった。医学的な情報に疎い自分も含め、多くの人は新型コロナウイルスのことが「よく分からない」から、不安になる。不安が増大すると、どこか特定の国や民族に怒りやストレスをぶつけようとしてしまうかもしれないが、そこから生産的なものは何も生まれない。