中国に取り残された数万人の日本人を助けた人物がいた

むろん、最初に感染者が発見され、感染が拡大したのが中国であることは確かだ(感染源について諸説あるが、現時点で真偽は分からない)。また、目に見えないウイルスへの恐怖から、根拠のないデマなども起こっているが、日本人に限らず、「中国人だから」、「○○ウイルス」といった国家や民族によるレッテル貼りをすることは、ヘイトスピーチにつながる危険性があると感じている。

加藤徹、林振江『日中戦後外交秘史 1954年の奇跡』(新潮社)
加藤徹、林振江著『日中戦後外交秘史 1954年の奇跡』(新潮社)

そんななか、筆者は『日中戦後外交秘史 1954年の奇跡』(加藤徹、林振江著、新潮新書)という一冊の本と出合った。帯には「日中がまだ『戦争状態』だったころ 一人の中国人女性が羽田空港に降り立った。」とある。即座に思い浮かぶ女性はいなかったが、ページをめくってみると、そこには「李徳全りとくぜん」という名前があった。

筆者は数年前にたまたまこの女性の存在を知る機会があったが、日本での知名度はほぼ皆無といっていいだろう。日本の中国関係者の間でも、知名度は高いとはいえない。読んでみると、中国でも実はあまり知られていないと書かれていた。

だが、この女性は日中戦争(1937年~1945年)からわずか9年後の1954年、まだ日中に国交がない時代、幾多の困難を乗り越えて、共産圏の国家から初めて来日し、中国に残された数万人の日本人の引き揚げに尽力した、いわば「中国のシンドラー」といえる人だという。

無知は罪ではないが、差別につながることがある

この女性や日中双方の外交関係者の粘り強い努力がなければ、中国に取り残された日本人は、戦後、母国に帰国することはできなかった。帰国できた日本人の多くは李徳全に心から感謝したという。本書は李徳全を始め、日本人引き揚げに関わる人々を、日本側からだけでなく、中国側の観点からも描いた貴重なノンフィクションだ。

読み進めていくうちに、日中に関する歴史を自分があまりにも知らなかったと痛感した。無知は罪ではないが、誤解や偏見につながり、知らず知らずのうちに差別にもつながっていくかもしれないと思った。そして「国境」「民族」「平和」などについて考えさせられることが多い昨今、ぜひ、多くの日本人に読んでほしいと思う。

李徳全は清朝末期、牧師の家に生まれた。昔の中国では珍しく西洋式の教育を受け、英語も得意だったという。敬虔なクリスチャンで、中国の大物軍人政治家である馮玉祥ふうぎょくしょうと結婚した。馮玉祥についても、日本では耳なじみがない人が多いと思われるが、一時は国民党の蒋介石と中国のトップの地位を争ったほどの人物であり、中国では有名だ。