「不具合があればラインを止めろ」という常識外れの指示の先
第3に、トヨタという企業は「今さえよければ」という近視眼的な発想では経営されていない。この強靱な製造企業の足腰を支えてきたトヨタ生産方式は、日常のオペレーンションにおいて、目先の効率ではなく、その先に広がる未来を考える姿勢を生産現場に定着させる工夫を組み込んでいる。そこから生まれる企業文化が、危機において重要なのではないかと思う。
1980年代にトヨタは単独では初の米国工場の運営に乗り出す。ケンタッキー工場である。張富士夫氏がトップをつとめたこの工場の生産ラインでは、次のような指示が行われていたという。当時の米国の自動車製造現場では異色の方式だったが、それまでのトヨタの国内工場において脈々と引き継がれてきたやり方である(野地鉄喜『トヨタ物語』日経BP社、2018年、338‐340頁)。
「不具合があれば、ひもを引いてラインを止めろ」
トヨタの工場では作業者が、ひもを引けば、ラインを止めることができた。そしてケンタッキー工場では、止まったラインを早く動かすことよりも、数時間あるいは十数時間をかけてでも徹底的に原因を追及し、何をどう変えればよいかを検討するようにしていた。
ライン全体で何も作業をしない重苦しい時間が続く。しかしこの時間は一方で、ラインにおける全作業者が、なぜラインが止まったか、何のために止めるかに思いをめぐらす機会となったという。こうして目先の効率に汲々としていた作業者が、より全体的な問題を考えはじめる。この変化をうながし、変化するのを静かに待つのがトヨタのやり方だった。
止めたラインを早く再稼働させることよりも、不具合の原因の追及を優先する。これは、責任の所在を問うためではなく、なぜ、トラブルが起きたか、何をどう直すかを考え、改善を絶やさないようにするための姿勢である。
このようにトヨタにおける「カイゼン」とは、目先の効率を高めるための取り組みではない。今日の生産性のために、未来につながる根本的な問題から目をそらしていると、いずれは組織の致命傷となって返ってくる。そのような事態を防ぐための方法なのである。
とはいえ、需要が伸びている時期には、スピードをあげてものづくりやサービス提供を進めていく必要はトヨタも変わりはない。先のインタビューのなかで張氏は、2000年代のグローバルな需要の拡大のなかで、工場を越えたラインの移設には踏み込めなかったり、製品バリエーションのあるべき姿よりも、効率的に大量につくることを優先していたりしていたと述べている。