だが、ここで、ヘンリー・フォードから学びたいのは、その生産方式の話ではない。彼がその当時、そうした生産方式を自社に導入したいと考えたそもそもの「思い」のほうである。彼はみずから、「企業の目的は大衆への奉仕だ」と宣言した。そして、大量生産の仕組みの導入と同時に、工場で働く人々の収入を上げたいと考えた。

フォード社は、平均水準より15%高い賃金を支給したほか、賞与にあたる部分をそれに上乗せした。その結果、工場で働くほとんどの人が、8時間労働で6ドルにも達する日当を得ることになった。14年がその年だが、それまでの日当は2ドルだったというのだから、画期的な賃金引き上げだ。工場の働き手は、8時間労働による余暇と高額の報酬を同時に得たのだ(ヘンリー・フォード『ヘンリー・フォードの軌跡』創英社・三省堂、2000年)。

高賃金のメリットは大きかった。同社の働き手の離職率も教育研修の費用も下がった。働く人の生産性も上昇した。何より、富裕層のものでしかなかったクルマが、工場で働く人の手に届くような存在になったことが大きい。

ヘンリー・フォードの思いのサイクル
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ヘンリー・フォードの思いのサイクル

T型フォードの値段は先にも述べたように400ドル台。工場で働く人にとっては、約2カ月分強の給料(400ドル/6ドル)で新車1台が買える。厳密な比較は難しいが、今の日本よりも購入条件はいいかもしれない。「わが国が繁栄する背景には、高い賃金を払い製品価格を下げて、大衆の購買力を向上させる……。これがわが社の基本的な考え方であり、われわれはこれを『賃金指向』と呼ぶ」というフォードの熱い思いが実ったのだ。

フォードは、「企業は大衆のために」を唱え、工場の革新を、働き手の高賃金と余暇と価格低下へと置き換え、大きいクルマ需要をつくり出した。庶民の間には、クルマへの憧れも自然に生まれた。図は、「フォードの思いのサイクル」だが、それが動き始めてアメリカは豊かなクルマ社会へと変貌する。

さて、そのヘンリー・フォード。現代に生きていれば、わが国クルマ業界の現実をどう見るだろう。「サイクルが逆に回っている」と言わないだろうか。

正規社員を切り賃金を削って、みずから若者の購買力を低下させ、いつしか若者の特権である「クルマへの憧れ」も消してしまったのが現代の業界だ。

日々ビジネスに追われる人には、先義後利は夢物語に聞こえるかもしれない。だが、そうではない。そう聞こえるなら、その人のビジネス感度が鈍っている証拠だ。「義」こそが、ビジネスを力強く駆動する一番のエンジンになるのだから。