オリンピック人気種目「陸上」のレジェンドといえば、ウサイン・ボルトだ。ボルトの自伝を翻訳し、陸上に詳しいスポーツジャーナリストが、ボルトの強さの秘密を解き明かす。

彼を超える人間は今後現れないだろう

ウサイン・ボルトは、21世紀に登場した人類の“進化”の象徴だったのではないか――。

ポーズを決めるウサイン・ボルト
ウサイン・ボルト氏(AFLO=写真)

“ライトニング・ボルト”と呼ばれた彼の足跡をたどると、そんな気がしてくる。

2008年8月16日、北京オリンピックの陸上競技男子100メートルの決勝の舞台で、私はボルトが9秒69で駆け抜けるのを眼前で目撃した。

その10秒足らずの時間は、とても一瞬の出来事とは思えなかった。序盤から中盤に向け、黄色のユニホームを着たボルトがどんどん加速していき、ひとりだけ異次元のスピードで走ってくる。ラストではあふれ出る喜びを制御することができず、おどけたようにゴールを駆け抜けていった。

電光掲示板に記された数字は9秒69。世界新記録。わずか10秒足らずの時間は濃密な瞬間の集積であり、濃度によって時間の概念が変わることを私は知った。

翌年、ベルリンで行われた世界陸上で、ボルトは自身の記録を9秒58にまで伸ばす。今後、彼の記録を塗り替える人間は誰もいないのではないか。