ボルトは規格外だった

しかし、ボルトは規格外だった。自分が気持ちよく走るためには、欲望に素直に生きる。我慢しないのだ。管理が尊ばれる時代に、ボルトの生き方は正反対といえるが、もしも食事でボルトを管理しようとしたらどうなっていただろう?

おそらく、機嫌を損ねてしまい、パフォーマンスにも影響が出ていたかもしれない。万人にチキンナゲット1000個は勧められないが、天才ボルトにはストレスフリーであることが重要だったのだ。

⑥好奇心とビジネス感覚

ボルトは好奇心の塊でもある。サッカーをはじめとした他の競技にも興味を示していた。現役時代から、「引退後は、プレミアリーグのマンチェスター・ユナイテッドの選手になりたい。俺みたいなスピードを持った選手は、きっと魅力的なはずだからだ」と自伝に書き記していたほどだった。

18年には、オーストラリアでサッカー選手としてのキャリアをスタートさせるなど、旺盛な活動は衰えることを知らない。

それは、ビジネス面にも当てはまる。結果を出し、企業が支援を名乗り出るようになると、周りを信頼できるパートナーで固め、契約を進めた。

特に、彼を長期間にわたってサポートしてきたプーマとの関係性を重視していることは見逃せない。ことビジネスに関しては、パーティーピープルの派手さは感じられず、手堅い「商売」を心がけているように見える。

彼のホームページを見ると、プーマのほかにゲータレード、ヴァージン・メディアなど12社がスポンサーに名を連ねており、引退してなお、ウサイン・ボルトというブランドは大きな価値を持っている。

19年にはボルトの名を冠したロゼ・シャンパンを発売させてもいる。これからもボルト・ブランドはますますバリューを上げていきそうだ。

⑦社会的な役割の自覚

これまでボルトは、致命的なスキャンダルに見舞われたことはない。自伝の最初に記されているが、マンチェスター・ユナイテッドの試合を見るために車を飛ばした結果、交通事故を起こしたことは大きく報道されたが、あとはゴシップ記事がちらほら程度。

ボルトは結果を出すにつれ、社会的な役割を自覚するようになったと思う。チャリティ活動にも積極的に参加するようになり、インタビューでの受け答えにも隙がなくなった。ボルトはお調子者に見えて、失言は極端に少ない。大会を盛り上げるための発言も多いし、記者が求めることを敏感に察知し、言葉を紡ぐ。

ボルトは社会的な責任を背負うことで、人としての器を大きくした。今後は「スポーツ・セレブリティ」として、多くの活動に参加していくことになるだろう。ウサイン・ボルトは、人類最速として世界のカルチャーに大きなインパクトを与え、社会的な責任を引き受けることで、莫大な成功を収めた稀有な人間なのである。

▼USAIN BOLT'S HISTORY

1986 ジャマイカに生まれる。


2002 地元ジャマイカで開催された世界ジュニア選手権の200mにて大会史上最年少で優勝。
2008 5月、100mで9秒72の世界新記録(当時)を樹立。8月、北京オリンピック100mで9秒69に世界新記録(当時)を更新。200mでは19秒30の世界新記録(当時)を樹立。
2009 世界陸上ベルリン大会100m決勝で、人類最速となる9秒58を記録。
2012 ロンドンオリンピックで100m、200mで優勝。両方の2連覇は史上初。
2017 世界陸上ロンドン大会にて現役引退。引退後はプロのサッカー選手を目指すも断念。現在は、小型電動モビリティー事業などのビジネスを手掛けている。
(写真=AFLO)
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