山口県の宇部という田舎の出身

【本庶】お互い、山口県の宇部という田舎の出身ですから。

【柳井】田んぼの町でね。中心には、銀天街というアーケード商店街があるんですけど、今はシャッター通り。あんな場所から世界的なファッション企業が出るなんて、ありえないでしょう。そういう意味でも、世界から信用される企業になれることを、日本発として証明したいです。

【本庶】そういう意味では終わりはないんでしょうね。立ち止まってみて「まあ、ここでいいわ」と思っても、また次の展望が開けるものです。新しくがんの免疫治療が始まって、従来は絶望だった分野に一筋の光が射しました。20~30%の人に治る可能性が出てきました。感染症におけるペニシリンの発見のようなものです。ただ、免疫治療が効く人がいる一方で、効かない人もいるんです。そうすると私としても、あと10年ぐらいは研究を続けて(笑)、生きている間に実現できるかどうかわからないけれども、ほとんどの人に効くようにしたいですね。

何が幸福かということを考えたときに、誰でも避けたいのは、苦しみ悶えながら死ぬことでしょう。だから、どうしたら病気にならずにすむかが関心事になります。人間には、健康が最大の価値ですから。

【柳井】テレビのCMを見ていても、健康食品とかサプリメントとか、健康は非常に重要なテーマです。女性の場合はプラス美容ね(笑)。うちの家内なんか、バンバン買っていますよ。「また通信販売が送られてきたぞ」って。あのCMを見ていると、欲しくなるんでしょう。

【本庶】すごいですよね。今日だけはこれがついてくるとか、30分以内なら、とか。

【柳井】本当に個数限定だったら、あの宣伝の金額はペイしないでしょう。宣伝量と販売量は、イコールで上がるらしいです。

【本庶】アメリカの大統領選だって、テレビCMの量で決まるそうですから(笑)。

【柳井】ゴルフは、19年11月にご一緒したのが最後ですね。6月のときは、僕は最終のショートホールで、9叩いたんです。バンカーにつかまって。

【本庶】初めて回る方には、申し訳ないコースでした。トリッキーで。

【柳井】でもゴルフは面白いですね。人生を感じますよ。

【本庶】ほんとね。失敗をどう受け入れるか。

【柳井】受け入れられないです(笑)、いつも。

【本庶】うまくいったときは、これが実力だと錯覚しちゃうし。

【柳井】ええ。次もうまくいくと思うけど、そうはいかない。18ホール上がってみたら、ハンデどおり。

【本庶】うん(笑)。また一緒に行きましょう。

本庶 佑
略歴
1942 京都府京都市生まれ。
1960 山口県立宇部高等学校卒業。
1966 京都大学医学部医学科卒業。
1967 京都大学大学院医学研究科生理系専攻(博士課程)。
1971 カーネギー研究所に留学。その後、免疫の研究を始める。
1979 大阪大学医学部教授に就任。
1984 京都大学医学部教授に就任。
1992 「PD-1」分子を発見。
1995 PD-1は、免疫細胞ががん細胞を認識して活性化シグナルを出したときにブレーキをかける分子だと発見。
2000 病原菌などの抗原に関する記憶を免疫細胞に刻むのは「AID」分子だと発見する。
2002 PD-1をがんの治療に使う原理を発見する。
2003 小野薬品工業と特許を共同出願。
2006 小野薬品工業とメダレックス社(現ブリストル・マイヤーズスクイブ社)により、免疫細胞にブレーキをかけるPD-1を阻害する治療薬の治験が開始。
2014 免疫治療薬「オプジーボ」の発売開始。これまでがんの治療法は、手術、放射線、抗がん剤の3つだったが、免疫療法という第4の治療法を切り開いた。
2018 京都大学高等研究院副院長・特別教授に就任。ノーベル生理学・医学賞を受賞。
柳井 正
略歴
1949 山口県宇部市生まれ。父・柳井等(ひとし)氏がメンズショップ小郡(おごおり)商事を創業。
1967 山口県立宇部高等学校卒業。
1971 早稲田大学政治経済学部を卒業後、ジャスコ(現イオン)に入社。
1972 家業の小郡商事に入社。
1984 ユニクロ1号店を広島市に出店。社長に就任。
1991 商号を「ファーストリテイリング」に変更。
1994 広島証券取引所に上場。
1996 東京事務所を開設。
1997 東京証券取引所2部に株式を上場。
1998 ユニクロのフリースがブームに。都心型店舗、ユニクロ原宿店をオープン。
1999 東京証券取引所1部に指定替え。
2001 英国ロンドンに出店し、海外進出を開始。
2002 玉塚元一氏に社長を譲り、会長に就任。
2005 会長兼社長に就任。
2006 GUを設立。
2019 海外ユニクロ事業が初の売り上げ1兆円突破。GUの増益も貢献し、3年連続で過去最高の業績を達成。