「手術では1ミリも妥協したくない。だから、とにかく手術が上手くなりたかった」。鳥取大学医学部附属病院で泌尿器科医を務める武中篤氏はそう振り返る。だが、武中医師がいま推進するのは「ロボット手術」だ。手術の技術向上に明け暮れた医師が、ロボット手術の第一人者に変わった理由とは――。

※本稿は、鳥取大学医学部附属病院広報誌『カニジル 3杯目』の一部を再編集したものです。

撮影=中村 治
武中 篤(たけなか・あつし)/1986年山口大学医学部医学科卒業。1991年神戸大学大学院研究科(外科系、泌尿器科学専攻)修了。医学博士。神戸大学医学部附属病院、川崎医科大学医学部、米国コーネル大学医学部客員教授などを経て、2010年より現職。2013年~2017年に低侵襲外科センター長、2017年4月より副病院長を兼任。専門は泌尿器悪性腫瘍学、低侵襲手術、骨盤外科解剖

私の記憶から消えた母親と、残った決心

武中篤が医学の道を志したのは、小学3年生のときだった。母親が慢性腎不全で亡くなったのだ。

「慢性腎不全ってね、今は血液透析を行えば命を落とすことはないですよね。その当時は、まさに日本にその技術が導入されたばかり、当然、健康保険は利用できません。私の父親は学校教師、普通の家庭です。慢性腎不全に血液透析という治療選択肢は一般的ではなかった」

父親が医師と血液透析をするかどうか、相談をしていたことをはっきり覚えている。

当然無理ですよね、と医師は冷静な口調で言った。そのやりとりを聞きながら、死刑宣告を受け入れるとはこういうことなのだと思った。母親が亡くなったのはその数日後のことだ。その前後の記憶はほとんどない。

「母親が寝込んでいる姿しか覚えていない。あとは夏休みに母親の調子がよくなって、家族旅行に数回行ったことぐらい」

その理由は分かっている。その数年後に父親が再婚したのだ。

「新しい母親は素晴らしい人だった。今でも血縁のある親子以上に信頼もしているし、仲もいい。だから前の母親には申し訳ないけれど、私の記憶から消さざるを得なかったのだろう。生体防御反応です」

ただ、医者になろうという決心だけは、彼の頭に残ることになった。