東池袋大勝軒店主の故・山岸一雄氏の愛弟子が込めた思い

ビジネスとして考えれば、都市部の長野市や松本市のほうが良さそうだ。じつは、出店するなら志賀高原スキー場を擁する長野県下高井郡山ノ内町でなければならないという理由があったのだ。

話は2018年の暮れにさかのぼる。

「町中華探検隊隊長」として都心の店を中心に取材に訪れている筆者は、「お茶の水、大勝軒」店主で、大勝軒TOKYO代表の田内川真介さんに知己を得て、神保町界隈へ行くたびに食べに行くようになっていた。

撮影=北尾トロ
左が大勝軒TOKYO代表の田内川真介さん。右側が志賀一井ホテル社長・児玉市郎次さん。

大勝軒はつけ麺とラーメンのイメージが強いのだが、ここにはカレーライスや焼きそばなど、町中華的なメニューが揃っているからだ。

田内川さんは、“ラーメンの神様”の異名を取った、東池袋大勝軒店主だった故・山岸一雄の弟子として修業を積んだ経歴を持つが、他の弟子たちのように自由に独立することを許されなかった。

「マスター(山岸氏)から、おまえだけはオレの味を変えずに守っていけと命じられたんです。子どものころから店に通い、息子みたいに接してくれていたからかもしれません」(田内川さん)

伝統を守る「お茶の水、大勝軒」だからできた、スキー場出店

尊敬するマスターにそう言われたらやるしかない。そして、さらにもうひとつ条件が。

「『もういっぺん、昔の味を食べてもらいたいんだ。真介、一緒にやろう』と言われました。東池袋大勝軒では開業当時(1961年)、いわゆる町中華。つけ麺が人気となり、やむなくメニューを減らしていった経緯がありました。マスターはそれが残念だったんでしょう。最後に昔の味を復活させたかったんだと思います」

田内川さんがお茶の水に店を開いた2006年の開業当時は、山岸氏が連日のようにやってきて、味を伝授してもらった。だからここには、他の大勝軒にはない“復刻メニュー”がいろいろある。評判は上々で、復刻版カレーライスは並みいる専門店を抑え、「神田カレーグランプリ」で優勝もしているほどだ。

ある日顔を出すと、味噌ラーメンの復刻に取り組んでいる最中で、使用する味噌などを決めるため長野県へ行く予定だが、足がないという。そこで、松本市在住の筆者の車で味噌屋や唐辛子メーカーを回ることにした。

そのとき「マスターの出身地なので挨拶しておきたい」と立ち寄ったのが山岸一雄の地元である山ノ内町の役場。このとき、観光商工課の堀米貴秀さんから出たのが、山ノ内町のイベントに出店してもらえないかという提案である。

撮影=北尾トロ
山ノ内町役場観光商工課の堀米貴秀さん。

「つけ麺の生みの親である山岸さんが、山ノ内町出身であることを、地元でも知らない人が多い。いまや全国に広まったつけ麺で町をPRできないかと考え、ダメ元の気持ちでお願いしてみたんです」(堀米さん)

意外なことに、突然の申し出を受けた田内川さんは前向きの対応を取る。

「イベント販売だとつけ麺は難しいけど、カレーならやれるかもしれない。マスターの地元ですし、採算は度外視で考えてみましょう」

「お茶の水、大勝軒」を繁盛させ、いまや都内と千葉県で4店舗を経営するやり手社長らしからぬ発言だ。筆者に対して繰り返し言うのは「故郷で役に立てることがあるなら、マスターも喜んでくれるんじゃないか」という言葉だ。山岸さんがいなくなっても続く師弟関係の強さがうかがえた。