かつてはどの町にも個人経営の中華料理店があった。「町中華探検隊」の隊長として、そうした店を訪ね歩いているライターの北尾トロさんは「現在残っている店は、これまでの競争に勝ち抜いた店ばかり。なにかしらのストロングポイントがある。それを探すのが楽しい」という――。
『町中華探検隊がゆく!』(交通新聞社)より、京急本線新馬場駅徒歩8分にある町中華「あおた」の「中華丼」(650円)。撮影=山出高士。

生き残る「町中華」はなぜ生き残るのか?

僕が町中華に興味を抱いたのは、2013年の年末に、学生時代から馴染んできた中華店を訪ねたら閉店していたのがきっかけだった。ショックを受けつつ、一緒にいた友人に僕は言った。

「こういう町中華はどんどんなくなっていくんだろうね」

そのとき発した“町中華”という言葉を友人がおもしろがり、町の中華屋をふたりで食べ歩くようになったのが町中華探検の始まりだ。おもしろがる仲間が増えて、2015年から本格的に「町中華探検隊」と称して活動を始めた。活動の趣旨は、消えゆく昭和の食文化を記憶・記録していくことである。

町中華という言葉は僕の造語ではなく、以前からごく一部で使われていた呼称だったが、それまで“大衆中華店”とか“ラーメン屋”、“中華屋”など、適当に区分けされていた店を、ひとつのジャンルにくくるのにピッタリの呼び方だったのだろう。

テレビなどがめざとく食いつき、町中華を取り上げる番組が増え、徐々に一般に浸透。ちょっとした流行のようになり、いまではすっかり定着した感すらある。月刊誌『散歩の達人』で始めた、都内各所の名店を巡る町中華探検隊の連載企画も4年目を迎え、これまでの探検をまとめた『町中華探検隊がゆく!』を上梓したところだ。

この流れに「待ってました」と反応したのは、昭和生まれのオヤジ世代である。若い頃にさんざん町中華の世話になった50代、60代が、黙っちゃいられないとばかりに町中華体験を語るのは、それが自らの青春の1ページだからだろう。

チェーン飲食店育ちの20、30代も町中華に関心

予想外だったのは、チェーン飲食店育ちで町中華体験のなかった20代や30代に新しい食のジャンルとして興味を持つ人が現れたことだ。どうやら若い人はこれまで、町中華に対して入りにくいイメージがあったらしい。

店主は高齢の上、寡黙。常連客が多く、今の相場からすればとくに安いとも言えない。外観は古ぼけているし、味は店ごとに違い、接客マニュアルなどない。そういう店は彼らにすれば入りにくいのである。でも、メディアに紹介される町中華は、どこかのんびりしたレトロ感漂う雰囲気。いったん足を踏み入れれば、独特の居心地の良さがわかってくる。