香典返しを広めた人類普遍の法則

香典返しというしきたりが広がった背景には、人類全体に普遍な法則が関係している。その法則とは、文化人類学の世界で用いられる「互酬性(ご しゅう せい)」である。互酬性についての古典的な研究に、フランスのマルセル・モースによる『贈与論』がある。これにはもともと「アルカイックな社会における交換の形態と理由」という副題がついていた。それというのも、互酬性は、古代の社会、あるいは未開の社会に見られる現象としてとらえられていたからである。

古代や未開の社会においては、モノには魂が宿ると考えられていた。モノは、たんに物質的なものではなく、魂を持った人格と見なされている。そうした社会では、権力を持つ人間は、自分の気前のよさを示すために無制限にモノを贈与する。これは、北米の原住民のあいだで「ポトラッチ」と呼ばれ、このことばが一般にも用いられるが、受けとる側はそれを拒否してはならないとされる。さらには、お返しの義務が伴うのである。

「恩や義理」を返そうとする日本人の心性

その互酬性が、近代の日本社会において生き続けていることを示したのが、アメリカの文化人類学者ルース・ベネディクトだった。彼女は、『菊と刀』という本を書き、当時は敵国だった日本人の心性を研究の対象とした(本の刊行は戦後の1946年)。

菊と刀』と聞けば、多くの人は、欧米の「罪の文化」と日本の「恥の文化」の対比を思い起こすだろう。たしかにベネディクトは、『菊と刀』のなかで、罪の文化と恥の文化の対比に言及している。だが、その部分はわずか2ページである。しかも、13章あるうちの10章になってようやく出てくるに過ぎない。

菊と刀』の日本語訳が出たのは、原著刊行の2年後の1948年のことだった。ところが、日本での評判はかなり悪かった。日本を占領している国の人間が、日本に来たこともないのに、勝手なことを言っていると考えられたのかもしれない。たしかに、読んでみると、見方が皮相であったり、誤解している箇所が目につく。

島田裕巳『神社で拍手を打つな!』(中公新書ラクレ)

だが、ベネディクトが、日本文化の特徴として、恥よりもむしろ「恩」や「義理」の重要性を指摘したところは、今見ても評価に値する。日本語訳が出た直後に、珍しくこの本を評価した人間に法学者の川島武宜がいるが、彼は、恩の概念について分析した5章と6章をとくに優れているとした。

ベネディクトは、恩や義理を受けたと感じている日本人は、なんとかそのお返しをしようと試みることを指摘した。恥もまた、その文脈のなかでとらえられており、恥を知る人間は、恩や義理を受けたことを生涯にわたって忘れず、どこかでそのお返しをしようとするというのである。

日本人にはこうした心性が現代においても生き続けているため、香典を貰ったら、それにお返しをしなければならないと考える。業者は、そこに目を付け、半返しの習慣が生まれるように誘導していった。日本人は、なかなかそれに逆らえないのである。

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