介護は突然やってくる。ときには家族を崩壊させてしまう危険性もはらんでいる。安易な考え方では太刀打ちできない。制度の使い方やサービス内容の把握、費用の準備……。介護の現実を直視し、今からできることに取り組みたい。
もう少し早く亡くなってくれていたら素直に涙を流せたのに
2008年4月の杉並区(東京都)にある斎場。満開の桜が散りはじめた花冷えのする日、加藤春子さん(仮名・61歳)は骨壷に義母の骨を拾いながら、全身から力の抜けていく感覚を味わっていた。
親族の嗚咽の声が聞こえてくる輪の中にあって、頭の中がとても冷静で、周りの光景が他人事のようにしか見えない自分がいることに気づいていた。もう少しだけ義母が早く亡くなってくれていたなら、私も泣けただろうに、という思いがこみ上げてきたのである。
介護は、ある日突然、どの家族にも起こりうる可能性をもっている。そのとき、どうするか。病院で亡くなる人が8割を超えた今日、家族全員が枕元に集まって看取りをすることも少なくなった。核家族世代では、看取りはおろか介護体験もない。老親の介護はまだまだ先のことであってほしいと無関心を装うことで、頭の隅から追いやっている人もいるだろう。介護は実際に体験しないと想像もつかないことだが、ことが起こってから対応を考え始めたのでは手遅れである。
ここでは、ひとつの家族で起こった出来事を例に「介護」に対する心構えを考えてみたい。
春子さんはため息をつくと、目を真っ赤にして涙を流している夫の浩二さん(仮名・64歳)に近づき、無理やり泣き笑いの表情をつくって言った。
「やっと終わったね、お父さん」
「そうだな、長かったね。本当にご苦労さまでした、ありがとう」
思いがけず夫からかけられたねぎらいの言葉。その瞬間、かたわらで頭を下げている浩二さんの姿が、涙でにじんでいくのがわかった。本当に全部が終わったのである。