「延命」か「尊厳死」の選択ができたほうがいい
読売社説は書く。
「本人と家族、医療関係者が日頃から、終末期の医療に何を望むかについて話し合い、文書に残しておくことも求められる。元気なうちから、万が一に備えて自らの意思を周囲に伝えておきたい」
この読売社説の「文書」の代表が、前述した日本尊厳死協会の「尊厳死の宣言書」(リビング・ウイル)なのである。
人は自分の死について進んで考えることは少ない。自分が難病にかかったり、あるいは肉親などの身近な人が亡くなったりしない限り、死について正面から向き合おうとはしない。
だからこそ死が避けられない終末期に陥ったとき最後の人生をどう生きるかについて健康なときにしっかりと考え、その考えを宣言書のような文書にまとめておく。そうすれば意識のない状態に陥ったとしても、自らの意思を周囲に伝えることができる。救急車で駆け付けた救急隊員らにとっても、判断材料になる。延命治療について家族と話し合っておくことも大切だ。
いくつものチューブを身体に入れながら延命するのか、それとも自然な尊厳死を迎えるのか。どちらを選ぶのもその人の自由ではある。