法案は作られても、国会に提案されない状態が続く

だが日本弁護士連合会や障害者団体、難病患者団体は法制化に強く反対し、「人の死に国家が介入するのは問題だ」「社会的弱者の生存を脅かすことになる」と抗議した。周囲でも「終末期は多様で患者やその状況によって違う。一律に延命を中止するのは無理がある。議論を深めるべきだ」という意見が聞かれた。

結局、法案は作られても、国会に提案されない状態が長く続いている。

沙鴎一歩は法案を早く国会に提案すべきだと考える。なぜなら国会での議論が始まれば、国民一人ひとりが自分自身の問題として考えるようになるからだ。

そもそも日本人は生命倫理や死生観の話になると、腰が引ける。それゆえ常日頃から「人生の終わりをどう生きるべきか」について考察しておくべきなのだ。終末期医療の在り方についてみなが考えて理解していく必要がある。

国の政策転換によって在宅医療が大きく伸びている

読売社説はその後半でこう指摘している。

「本人の意向を尊重しつつ、救急現場の混乱を招かぬようにするには、人生の最終段階を穏やかに迎える環境の整備が欠かせない」

終末期の環境整備。いまは10数年前とは違い、国の政策転換によって在宅医療が大きく伸びている。その結果、病院以外で終末期を迎えるケースが多くなってきているようだ。読売社説は続けて指摘する。

「まず重要なのは、在宅医療の充実だ。住み慣れた地域でかかりつけ医が本人の状態を把握しつつ、急変時に蘇生処置の必要性などを判断する」
「自治体や消防、地元医師会、病院などが連携し、意思疎通を図って対応する必要がある」

その通りだと思う。だが、言うはやすしのところもある。自治体、医師会、病院と立場によって、それぞれ思惑や打算がある。思惑や打算を飛び越えて意思疎通を図ることを目指さなければいけない。