テレビが現れる前から存在していた

通常3年から4年でクリアする前座修行を、私は談志の下で9年半も務めました。その間、落語家はマスコミに自分を売り込む活動は許されていません。あくまでも前座としての労働を全うすることこそが彼らの本分であり、その掟(おきて)を破れば師匠ともども、非難の対象となってしまいます。

養成所系のお笑い芸人さんが「テレビが進化するとともに発展した存在」ならば、われわれ落語家は「テレビが現れる前から存在していた」と比較できるでしょう。これは決して優劣のことを言っているのではなく、単なるタイプの違いにすぎません。目指す方向性の違いによってやらなければならないことが異なり、結果として住む世界も変わってくるのです。

われわれ落語家は、テレビに特化した形で芸を磨くのではなく、あくまでも落語という芸のレベルを上げるために日々を費やします。テレビに基軸を置いて活動する落語家もいますが、そういう人でもすべて、前座修行のプロセスを経ています。その意味で、この前座修行の期間こそが落語家とお笑い芸人を区別する大きな要素と言えるでしょう。

談志のような天才でも、文楽や志ん生といった昭和の名人でも、落語家はみな等しく前座修行からスタートします。この非常に公平なシステムがあるからこそ、その後の最低限の生活が保障されるのではないかと私はひそかに思うのです。

前座修行は、税金の先払いのようなもの

前座時代、練馬にある談志の一軒家は、私にとってまさに「道場」でした。あいさつの仕方をはじめ、すべて毎日怒鳴られながら教えられてきたのです。

そんな金も何もない、ただ怒られるだけの立場である前座には、必然的にお客様から道場ならぬ“同情”が集まります。そして、その同情が愛情に転じ、時には「かわいそうだから今度、前座さんの落語会を開いてあげよう」となることもあります。

入門28年目の私ですが、今でも独演会には当時からお世話になっている方々が来てくれます。そう考えると、談志に怒られ続けた前座修行の期間は、税金の先払いのようなものだったのかもしれません。いまだに続くその恩恵は、まさに年金のよう。仲良くしている芸人・ポカスカジャンの大久保ノブオさんは、「落語家さんは芸人の中の公務員ですよね。いざというときに一番強いのは落語家さんですよ」と言いました。

8年ほど前、私は長野県佐久市にある総合文化施設、「コスモホール」の館長を2年間務めたことがあります。公的なお金を使ってお笑いを企画するとなると、どうしても老若男女が安心して笑えるものが中心となり、そうなるとやはり落語にお鉢が回ってくることになります。

さらに、どんな場所でも座布団1枚あれば実演可能というリーズナブルさも追い風となります。漫才の場合は最低でも2人必要で、交通費や宿泊費などの経費も倍増します。これもまた、テレビに頼らずとも食べていける理由の1つでしょう。